この御影石の柱は、大正14年7月から昭和53年まで南へ約500メートル先の多摩川に掛かる二子橋の親柱として使われていた。
二子橋が掛けられるまでは、「二子の渡し」と呼ばれる渡し船で対岸と行き来していました。二子橋の完成により渡し船は廃止状態となりましたが、昭和2年からはこの橋の上を電車も走るようになり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になりました。その後、交通量の増大に伴い、昭和41年には電車は専用橋に移り、昭和53年には拡幅工事が行われ、この親柱の使命は終わり、現在の柱に替えられました。