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●木製百人一首
形といい、厚さといい、銭湯の下足札のような雰囲気の木製百人一首。北海道・函館の街の雑貨屋さんにあった。読み札は紙製。途中の旅館などで聞いたが、だれも知っている人はいなかった。
情報の規格化の必要性もわかるが、木製百人一首といい、越後花のような地方独特のものが無くなっていく。花札も昔は地方ごとに違った柄だったようだ。
しかし、この厚い木の百人一首はどうやって遊ぶのだろうか。紙製のように飛ばして取るにしては重量がありする。
北海道開発の時代に紙より豊富にある木材を使って、百人一首にしたのだろうか。

 
   

●津軽の凧絵
青森駅前のお土産屋で買った津軽凧絵。ねぶたの絵を連想させる。



●明延の錫鉱石
これが明延鉱業所のおじさんからもらった錫鉱石の原石。よく見ると、小さな金色が見える。
10円電車の、簡単に偽造が可能と思われる乗車券といっしょに撮影。乗車券は菓子箱をばらして、それにゴム印を押しただけのようなもの。

 


●大阪万博のクラウス17号機
加悦鉄道に行く前に大阪万博EXPO'70に行って、人の多さとにうんざり。その中にクラウスが展示されていた。子供が乗ったりして遊んでいて、ゆっぱり汚れて油にまみれていていても動いているのがイチバンと実感。1973年の鉄道100年には新橋・横浜を走る予定になっていると書かれていたけど……。


もらった資料より
KRAUSS 17 クラウス17号

明治22年(1998)4月 九州鉄道(現鹿児島本線)が輸入した23台の中の1台。妙に長い煙突、釣鐘をひっくり返したような蒸気がまなど、いかにもドイツらしく、落ち着いたスタイルで、前年まで北海道の炭坑で働いていました。

日本クラウス保存会



   

中国の蒸気機関車の写真が「!?なもの」に入っているので“!?”と思われたり、「おっ中国も行った のか……」と思われる人もいるかもしれないが、中国の蒸気機関車ではあるが撮影した場所は日本の桜木町。現在は高層ビルが林立して、ホテルやオフィスになっているミナト未来21地区だが、元は国鉄の貨物駅があった。
日本で初めて鉄道が走ったのは新橋(汐留)〜横浜(桜木町)で、開通当時の駅は貨物駅になっていて大きなヤードになっていた。貨物の取扱が減って駅もなったけど敷地はまだ残っていた。この大きな跡地を利用して、日本で初めて鉄道が走った地ということで1982年に「中国大鉄道博」が行われたとき撮影したもの。本当にレールを敷いて、蒸気に火を入れて短い距離を行ったり来たりしていた。
その後ここで「横浜博」も行われ、現在は高層ビルが建てられている。

0(ゼロ)号蒸気機関車

●横浜・桜木町貨物駅跡地の中国大鉄道博

個人的には中国の蒸気機関車は鉄板を溶接しただけのような感じがして、あまり好きではなかった。比較的近くで行われたので出掛けてみたが、0(ゼロ)号蒸気機関車が展示されていた。中国初めの蒸気機関車で、日本でいうところの1号機関車にあたる。しかし0号というのは面白い。小さな身体に高い位置の連結器を付けたスタイルもなかなか個性的で、しばらく眺めていた。
それと中国の奥地には、解放前の蒸気機関車が動いていたり、軽便鉄道もあることを展示で知り、メモをとっておいたが、いまだに行くことができないでいる。



0号蒸気機関車の会場の説明から
0号機関車は、19世紀に製造された中国初の蒸気機関車である。当時の旧中国時代の鉄道建設は、工業のたち遅れから、外国に依存しており、中国最初の鉄道の出現は、世界で最初に鉄道が走り出してから50余年後の1865年のことであった。0号機関車は、全長:4600mm、車高:3400mm、車幅:2200mm、重量:20tで、当時、軌間1435mm、重さ15kg/mのレールの上を走っていたものである。

   
●手拭いの型紙

   
上の写真は「手拭いの型紙」。和紙を柿の渋で固めたもの。これを木綿の布の上に載せて色を塗り染めれば手拭いになる。本物は濃い赤色の柿の渋の色をしているのだが、モノクロフィルムで撮影したので、上のようなコントラストがハッキリしたものになった。

ずっと昔(20年以上前)に友だちが江戸時代や明治時代の手拭いの型紙を集めていて、これはみんなに見せるべきだっ。ということで展示会を開いた。その時に撮影を頼まれたのが上の2点。その友だちが最も気に入っている型紙だったのかも。現在はタオルが当たり前で、手拭いは祭のハチマキぐらいにしか使われなくなった。

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