【弘南鉄道の旧型国電】


津軽の城下町として栄えた弘前市を中心に弘南線と大鰐線の2つの路線を持っていた。現在は国鉄黒石線を譲り受けて3つの路線。国鉄や東急・西武など大手私鉄払い下げの電車がたくさん走っていた。東急から譲渡されたものを多く見た。これは元国電。



【前橋だるま市に行って乗った上毛電鉄】

昭和55年1月15日

日本一の「だるま」の産地、群馬県前橋市で行われた「だるま市」に行った。メインストリートの両側にだるまをはじめ、仏壇、群馬の名産、たこ焼き・お好み焼きの出店が並ぶ。だるまを売っているおじさんが全身真っ赤な服装をしていたりしてかけ声を出している。
見終わった後、国鉄前橋駅から随分離れた「前橋中央駅」から上毛電鉄は出ていた。もう一つの端の駅「西桐生駅」も国鉄・大手私鉄と接続していない珍しい路線。全身鮮やかな黄色の塗装。形から推測すると「東武鉄道」か「小田急電鉄」から来た車両と思われる。面白いのは元荷物室などを改造して「サイクリング列車」を走らせていた。自転車は元荷物室に、人間は座席にというわけ。
JR高崎駅から出ている群馬県のもう一つ元気な私鉄「上信電鉄」とこの「上毛電鉄」は仲良く運転台が右にある。左が一般的なのだけど、交換駅でのタブレットの受け渡しが楽なためらしい。いちいちホームに出て受け渡さなくても、左側通行なので運転台から“ひょい”と受け渡しをすれば済むのだ。
上信電鉄も乗ったことはあるが写真がイマイチなので掲載はパス。鋭角的な現代スタイルの新車に混じって西武鉄道から譲り受けた車両が走っていたが、これだけは運転席は“左”だった。“左から右”への改造費用が大変なんだと思った。






【上田交通の夏】

上田交通は長野への行き帰りに車窓から眺めているだけだった。名物丸窓電車がゲンキだなっ、東急の5000系の中間車改造のクハが来たなっ、中間車改造だとスタイルが良くないなっ、長野電鉄の200系と600系が置いてあるぞ、地下になったので不要になって上田にきたのだなっ、と行き来の途中で見ているうちに丸窓電車が走らなくなって、東急の車両がたくさん入線して来た。一度はチャント撮影しておこうということで出かけたもの。東急の5000系・ステンレス5500系の2連が写っているので5〜6年前だと思う。今ではクーラー付きの東急7200系が入線して、車両だけは近代的に装いになったけど線路状態はどうなのだろう。撮影に行ったとき線路の手入れがあまり良くないと感じたので。

別所温泉駅のはずれに丸窓電車は置いてあった。ひまわりがちょうど咲いていた写真なので【夏期限定】でトイトレインのトップページに使ってみた。真ん中にある電柱がないともっと良かったんだけど……。

 
左:元東急5500系(東急初のステンレスカー)、右:元東急5000系



【三陸海岸北上ツアー】

仙台で土曜日に会合があって、次の日の朝、現地解散と急になった。みんなは帰って行ったが仙台まで来て次の日は日曜日なら「ちょっと足を伸ばしてみようか」という気になる。「唐桑」という気になっていた地名もこの眼で確かめたかった。

【仙石線】
キチンと予定をたてない、いつもの時刻表片手のアドリブ旅行。初めからそのつもりではなかったのでカメラは持っていない。仙台では寝台特急583系を改造した3扉車が走っていてそれぞれが異なった顔を持っていて面白かったがカメラがなくて撮影することはできなかった。これではまずいので途中の列車待ちで生まれて初めて使い捨てカメラを買う。松島を右手に見た美しい風景が続く。

【石巻線・気仙沼線・大船渡線】
石巻で乗り換え。前谷地から気仙沼線。途中から三陸海岸が見えてくる。気仙沼からは大船渡線。気仙沼の次に「唐桑」があった。駅名は「鹿折唐桑(ししおりからくわ)」だった。もっと大きな駅かと思っていたが、列車交換もできないホーム1面の駅で唖然。

【三陸鉄道南リアス線】
盛から三陸鉄道の南リアス線。北リアス線とは山田線をはさんで分かれている。盛で岩手開発鉄道と出会ったのが下のカット。使い捨てカメラだからあまり精度はよくない。

【山田線】
釜石から釜石線で花巻に出れば最終の新幹線に間に合うはずだった。釜石にはディーゼルが数両停車していて「出るよ〜」の声に「待って」と乗ったら、直ぐに発車して「あれっ」と思ったらそれはさらに北上する山田線の列車だった。時刻表とにらめっこして、途中で引き返そうかとも思ったが接続が悪すぎる。「えいっ、それなら宮古から盛岡まで行って高速バスで帰ろっ」と決めて夜行列車を楽しんだ。

【寝台特急電車】
盛岡では予定していた高速バス2本が満員で席がない。JRより安いからか。結局しばらく時間をつぶせば583系(だったと思う)の電車寝台特急の席が確保できるのでそれに決める。食事をして時間をつぶしたが、ここでもミスをしてしまった。盛岡なら「わんこそば」を食べるべきなのだが「ラーメン」を食べてしまった。カミサンに電話をして「盛岡にいる」と言うと「仙台に行ったのになんで盛岡にいるのっ」と怒られる。多分「ゆうづる」。実は電車寝台特急の寝台に乗るのは初めてなので、心の中ではうれしかったのである。普通の人ならガッカリするのだろうが。上段だった。小さな窓から外をのぞいていたら眠ってしまった。

多分1992年頃かな……

 


左:三陸鉄道
36型。サンリクをもじった形式。新潟鉄工所製(北リアス線)と富士重工製(南リアス線)。昭和59年に初の第三セクターとして誕生。北リアス線は久慈−宮古、南リアス線は釜石−盛。100・200の2種があり、缶飲料の自動販売機の有無の違い。

右:岩手開発鉄道
大船渡線の盛から出る11.5キロの路線。キハ301型は元夕張鉄道のキハ202型。国鉄のキハ07と同スタイル。機関車はDD43・DD56の2種。撮影したのは43。




【北陸鉄道・小松線】

いつものように周遊券で、寝台急行白山に2両連結されている座席で寝て、尾小屋鉄道に行ったときのこと。早朝小松駅着。早すぎてまだ尾小屋鉄道の駅舎の扉も開いていない。道を渡って向かい側の車庫に行ったりしたが、まだ始発にもならない。反対側に小松製作所の工場群があって、その手前に両運転台で車長も短く、客用扉も2つの車両が止まっていた。地方私鉄電車の模型化にもってこいのサイズの車両だなぁと思い早速撮影したのが下の写真。

たいていの地方私鉄の乗り換え駅は国鉄の路線と平行にホームがあるのに、直角に線路が出ているのが珍しいナ、路面電車のようだと思いつつ撮影しました。尾小屋鉄道を目当てに行ったので、この私鉄のことは頭になく、後で調べると北陸鉄道の小松線だった。小松から鵜川遊泉寺までの短い路線。現在では廃止されている。

北陸鉄道はこの頃、この地方にいくつもの路線が健在で、尾小屋から能登に向かったとき七尾線の車窓から荷物のデッキが付いているディーゼルを見ましたが、これは撮影しようと思ったら通り過ぎてしまいカメラにおさめることはできなかった。下調べが不十分で走っているのをしらなかったのです。


昭和45年2月・後ろは小松製作所の工場群

【豊橋鉄道・本線】

路面電車に掲載した豊橋鉄道・市内線といっしょに撮影したもの。だからコダックのディスクカメラで撮影したので、すこぶる画質は悪いです。くりっぷ&ふくらっぷに載せた2002年9月とほとんど同じ場所ですね。まだ1500Vに昇圧前の600Vの時代。長野電鉄の1100系も譲渡前。名鉄から来た車両が走っていました。画質の悪さに撮ったことを忘れていました。

昭和59年10月頃
 

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