※昭和47年12月27日夜から、正月休みと、暮れの休日出勤の代休を合せて12日間
ぐるっと北海道を回ったときの話しです。
宿泊した場所は、寝台車→函館→篠路→釧路→根室→弟子屈→佐呂間→
稚内→岩見沢→連絡船→長野の順。

釧路駅からバスで10分ほどで、雑誌で(多分、鉄道模型趣味だと思う)見たそのままに、丘の上に電車が走っている証拠の架線が見えてきた。バスはその丘をグルッと回り、大きな観覧車が見える太平洋スカイランドというバス停で停車する。

太平洋炭坑は、炭坑だけでなく、太平洋スカイランドというレジャー施設、バス会社も関連で持っているらしい。バスの途中に太平洋炭坑高校もあった。ワンマンバスの運転手さんが親切な人で、とせこで降りたらいちばんいいかを教えてくれた。

 丘に登ると、雑誌に書いてあった「丘の上のレイアウト」にふさわしく、こじんまりとしたリバース線が目の前に出現した。背の高い不安定な電気機関車にひかれた鉱車は、リバース線で180度向きを変えて帰って行く。作業員のお兄さんに聞いたところによると、この奥にはチップ工場があったらしく、古い木で組んだ上に線路があった。今は使っていない。車両修理工場は現在稼動しているチップ工場リバース線の間にある。

ここの電気機関車のスタイルは面白い。同じ鉱山電車である明延鉱業所のゲテモノ的な感じと違って、なかなかまとまった軽便なりのスタイルをしている。工場は訪れたときが暮れの31日であったので操業を休んでいたが花巻電鉄のデキ1と双璧のノッポ電気機関車は、工場の修理のためか動いていた。

凸電機がやってきて、ホッパーで落し、また戻って行く。小さな小屋があり、おじさんが酒を茶碗酒を呑んでいる。撮影許可をもらうと「呑んでいけ」というのでチョットだけごちそうになりました。

実は、私は下戸なのであった。それと余りゆっくりもしてられなし・・・。小屋の横に、町工場で簡単に溶接して組み立てたようなロータリー車や、ラッセル車があった。浜中町営軌道があった茶内駅に向かう。


太平洋クラブライオンズ、あれも太平洋グループかな?
風が吹けば倒れてしまいそうな凸型電機も、最近新しいものになったようですね。