国鉄宮津線、丹後山田駅(現北近畿タンゴ鉄道・野田川駅)から加悦へは、このガソリンカーで行く。前面が荷台になっている。窓配置から以前は半分が荷物室だったことがわかる。客室に改造されていた。



丹後山田駅に放置されて古典的な2軸客車と車軸。右は信号所。



これが目的の元河東鉄道3号だった(現在の長野電鉄)4号機関車。多少改造は加えられていたが、ほとんど原型を保っていた。



レイアウトに、こんな情景を作ってみたいっ、と思わせる情景。屋根の中央が下がっているのと、塗装がはげている様子を表現するのに、苦労しそう。



こんな情景も作ってみたい。屋根から下がったチェーンや、扇風機、リヤカーなど作るのが大変そう。確かこのガソリンカーは片ポギーだったと記憶している。

加悦のスチーブンソン


私は4号機関車が目的で加悦鉄道に行ったが、たいていの人はイギリス生まれの2号機関車を目的に来る。他の蒸機機関車や客車、貨車は、草の繁った中に放置されていたが、2号機関車だけは、構内の草の生えていない場所に、塗装もされたばかりの姿で鎮座していた。





加悦鉄道の2号機関車の生まれは1873年、イギリスはロバート・スチーブンソン会社。1872年(明治5年)に日本の鉄道が開業。京阪神間の輸送のために輸入されて活躍した4両のうちの2両が篏上(ひのかみ)鉄道(国鉄時代の木次線の一部)へ。そのうちの1両が大正15年の加悦鉄道の開業時にやってきたもの。

生まれの証明である銘板には

製造番号2105
RT.STEPHENSON & CO.
ENGINEERS
NEWCASTLE ON TYNE
1873

と書かれていると思われる。蒸機機関車が無くなるときの鉄道ブームで、各地の銘板が無断ではぎ取られた事件が相次いだため、銘板はイミテーションをにしたと聞いたことがある。私が行ったときは、ブームになる前だったから、多分撮影した銘板は本物であろう。


2号機関車の他にも加悦駅の構内には、いろいろな車両が放置されていた。左の蒸機機関車のプレートはNo.1261と読める。右の手前は木造の二重屋根の客車。右奥は東急の電車を客車にして使っていたと思われる。


現在も鉄道広場になっていて、これらの蒸機機関車の一部は保存・展示されているはず。


99年11月号の鉄道ピクトリアルが鉄道博物館を特集していて、「加悦SL広場」の開設のいきさつなどの現状が書かれていた。この記事によると施設の維持や来場者の確保など苦労は多いらしい。加悦鉄道って工場までの専用線岩滝線もあったのですね。これは知らなかった。それと丹後山田駅は宮津線から北近畿タンゴ鉄道に変わって、野田川駅に名前が変わったことも知りませんでした。「加悦SL広場」の他にも主要な鉄道博物館、海外の保存鉄道のことが書かれている。