平成15年5月

冨山の国際トロッコサミットでダージリン鉄道のポジを提供したお礼に、けいてつ教會の岡本さんから「水瓶(みずがめ)軽便物語」という冊子をいただきました。謎の軽便鉄道発掘の副題で資料の少ない、村山・山口貯水池建設の軽便鉄道を調べた労作です。トンネルがまだ残っていて通ることができると出ていたので、いつかは行ってみたいと思っていました。ちょうど5月10日土曜日に、西武・小田急・多摩モノレール合同ウォークが行われるチラシを見て、多摩モノレールにも興味があったので参加してみることにしました。

 

<ウォーキングのチラシ>
大きな写真は1号隧道(現・横田トンネル)入口で
機関車と記念撮影(昭和6年)と書かれている
<水瓶軽便鉄道の表紙 >
けいてつ協會
岡本憲之著

ウォーキングがあちこちで行われていることは知っていましたが、参加するのは初めて。 多摩モノレールの「上北台駅」がスタート。駅前で受付をしていました。結構多くの方が参加されて、途中列が途切れないほでした。道の曲がり角には矢印が貼ってあったり、交通量の多いところは係員が立っていたりしてウォーキングの意味がわかりました。地図は事前にあるのでわかると思っていたのですが、目印がないと行けないですね。

 
<多摩モノレール・上北台駅>
<多摩モノレール・多摩センター駅>
 
村山・山口を建設するために敷かれた軽便鉄道は営業線ではないので正式な名称はありません。「水瓶軽便物語」で使われている名称で話しをすすめます。まず村山貯水池(多摩湖)を作るために敷設されたのが「本市軽便鉄道」。雨宮敬次郎が興した大日本軌道鉄工部製の蒸気機関車が使われました。その後、多摩川から村山貯水池まで水を導くために敷設されたのが「羽村−村山導水管敷設工事軌道」。

人口増のため村山貯水池でも足りなくなって山口貯水池(狭山湖)を作るための砂利採取用に敷設されたのが「羽村−山口軽便鉄道」で、羽村−村山導水管敷設工事軌道の跡地と、2つの軽便鉄道の車両が利用されました。貯水池完成後も太平洋戦争の貯水池防空対策工事にも使われました。この羽村−山口軽便鉄道の廃線跡とトンネルが残っているのです。
<赤阪トンネル・4号隧道>
<赤阪トンネルの反対側>

現在はサイクリングロードとして整備された4つのトンネルをウォーキングで通るようになっていました。トンネルの名称は後から付けられたようで、元々は1号から4号隧道というのだそうです。トンネル以外の廃線後もハイキングコースとして残っていました。

 
<御岳トンネル・3号隧道>
<トンネルの内部>
   
<赤堀トンネル・2号隧道>
<横田トンネル・1号隧道>
   

「水瓶軽便物語」によると横田トンネルの反対側が羽村−山口軽便鉄道の機関庫跡地と書かれてあります。多分左の写真のあたりがそうなのではないかと思われます。隣には元燃料庫があると書かれていましたが、整備されたようでありませんでした。線路跡を利用した道路はまだ続いています。自転車があればなぁ……。

<横田ンネルの反対側にある公園>
 
 
<玉湖神社近くのサイクリングロード・あかまつ橋下にあるトンネル>
サイクリングロードをユネスコ村方向に戻って行くと玉湖神社があって、ここで羽村−山口軽便鉄道は、村山貯水池方向と、山口貯水池方向に分岐したようです。山口貯水池方向には道路をくぐる短いトンネルがありました。柵で入れないようになっていましたが、草木で覆われていて最も廃線跡らしい風景と思えました。
 
<玉湖神社>
<新交通システムになっても信号所は同じ>
   

工事用ではなく遊戯施設に類似した鉄道として作られたのが西武鉄道の蓄電池機関車が牽く「おとぎ電車」。後の山口線。羽村−山口軽便鉄道の村山貯水池に分岐した路線の一部と重複しています。蒸気機関車運転で人気があったのですか、新交通システム「レオライナー」に変ってしまいました。

羽村−山口軽便鉄道で使われた車両は、この後作られた小河内貯水池(奧多摩湖)の建設に使われました。詳しくは「水瓶軽便物語」をご覧になってください。

 
<レオライナーが走る>