ながでんの貨車たち


長野電鉄は昭和54年4月に、須坂駅ほか2駅でわずかにに営業続けていた貨物取扱業務を廃止した。幕を閉じた半世紀の間には国鉄直通「やまさち号」などもあり、ほとんどの貨車は国鉄直通が可能だった。
これらの貨車を大きく分けると、開業当時の河東鉄道を含んだ「自社製造グループ」、ながでんの開業当時に関係が深い「佐久鉄道からの譲り受けグループ」、それに「鉄道省、国鉄から譲り受けたグループ」の3つに分けることができる。
あまり雑誌などで日の当たらなることのなかった貨車グループをまとめてみた。少ない資料からなので、間違いがあったらご指摘を。



無蓋車


【ト21形】


ト1形竣工図
ト1形は鉄道省から譲り受けた木製無蓋貨車であるので、元の製造所はバラエティにあふれている。
 ト1・2/鉄道庁前橋工場/明治25年製
 ト3/鉄道局前橋工場/明治19年製
 ト4/オールドベリー会社/明治23年製
 ト5/鉄道局神戸工場/明治23年製
 ト6/汽車会社/大正15年製
 ト7・8・12/
   日本車両/明治38・44・44年製
 ト10/梅鉢車両工場/昭和4年製
 ト13/田中車両/昭和5年製


ト31形竣工図


ト51形竣工図
ト1形
ト1〜13(9・11欠番)

河東鉄道が開業に当たり、鉄道省からまず5両譲り受け、さらに昭和23年に運輸省から8両譲り受けたグループ。このうちト9・11は昭和30年に廃車されている。国鉄長野工場で国鉄ト1形スタイルに更新されたものもある。


ト21形
21

昭和23年に運輸省から譲り受けた車両。昭和4年に日本車両本社で製造された国鉄ト4821で、昭和37年国鉄長野工場で更新工事を受けている。


ト31形
31

ト21形と同様、昭和23年に運輸省から譲り受けた木製貨車。昭和11年日本車両東京支店で製造された長軸車の国鉄ト30014。ながでんでの貨車の中では唯一の長軸車である。


トム51形
51

大正11年に佐久鉄道から譲り受けた木製貨車。大正9年に日本車両東京支店で製造されている。この形式は全部で10両佐久鉄道から来たが、この1両を除いてワム11形に改造されている。 


有蓋車


【ワ51形】


ワ1竣工図

ワ51形竣工図

ワム11形竣工図

スム101形竣工図
ワ1形

この貨車の経歴はなかなか面白い。明治32年九州鉄道が小倉工場で製造した木造貨車。国有となり形式はワ6612、大正11年に鉄道省から譲り受けたもの。いっしょに来たワ6584→ワ2は事故で廃車になっている。

ワ51形
51〜58

河東鉄道が大正12年日本車両東京支店で製造した車両。

ワム11形
11〜22

ワム11形は大正11年に河東鉄道が関係の深い佐久鉄道から譲り受けた木製貨車だが、2つのグループに分けられる。
まず佐久鉄道が大正9年日本車両本店で製造したワム5〜7を大正11年に河東鉄道が譲り受け、ワム11〜13としたグループ。
そして無蓋車を譲り受け自社で改造したグループで、大正11年佐久鉄道から譲り受けた無蓋車ト33〜41をトム11〜19としたが、有蓋車に改造してワム14〜22の同形式になった。


スム101形
101〜115

長野電鉄が汽車会社東京支店(現川崎車両)で製造した車両。昭和10年に5両、12年に10両製造している鉄側貨車。国鉄スム1形とほぼ同形で、国鉄が長軸に対して短軸である。 


有蓋緩急合造車


【ワフ21形】



ワフ21竣工図
ワムフ11形
11〜12

佐久鉄道から大正11年に譲り受けたもので、大正9年日本車両本店で製造されている。ワム11形に車掌室を設けた外観。緩急車としてはあまり使われず、主に社線内の代用貨車として使われた。


ワフ21形
21〜22

複線区間の後部緩急車として須坂−長野間の貨車列車に連結。車掌室には尾灯用の蓄電池、圧力計、ハンドブレーキなどがあった。この形式のみ国鉄直通はできなかった。
写真と竣工図を見比べてみると、車掌室部分は拡張の改造を施されたように思われる。



貨車を研究している、神奈川の澤内さんから「ながでんの貨車たち」の間違いならびに、上記以外のながでんに在籍した貨車のことをご指摘いただきました。許可をいただいたので掲載します。この後、長野在中の大日方からスム121についての指摘をいただきましたので反映してあります。私はこの2形式の貨車のことは知りませんでした。

 
スム121形
121
 昭和44年頃に東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償と して譲受したスム601が前身で、昭和18年日車支店製。石灰石輸送用なので戦時中の製造ながら鋼製車で、また国鉄ワム23000形に範をとった設計のため、鉄側有蓋車としては扉巾が広い。また、本車は長軸を使用し、しかも東武時代に2段リンク化されていたものの、長野電鉄では直通貨車とはしなかった。
 
ワブ1形
1,2
 開業に備えて大正11年5月22日認可で鉄道省ワ6607と6729を緩急車に改造の上、譲受した6t積有蓋緩急車。図面類はおろか、工事方法書も残されていないため形態が不明だが、恐らく原形時代のワ1形に車掌室を取りつけただけと想像される。形式称号は当初ワフ1形であったが、空気制動はおろか、空気制動管すらなかったため、昭和3年10月4日に"昭和の大改番"の影響をうけワブ1形に改称。線内使用のためワ1形のように増トン工事は行われず、老朽化のため昭和6年10月6日に2輌とも廃車された。
 



国鉄長野工場は現在の長野新幹線ホームの位置付近から、かなりの敷地を有していた。最盛期には蒸気機関車も製造されていて、小学校のころに見学に行ったことがある。製鉄所のように真っ赤になった鉄が流れていたり、溶接や鉄を打つ火花が飛び散る風景を覚えている。
蒸気機関車全盛期の後は、廃車になった蒸気機関車の解体作業が長野工場で行われ、ナンバープレートをはずされたたくさんの蒸機がて野ざらしになっていた。



【国鉄長野工場で雪の中解体を待つ蒸機たち】
この撮影場所は現在、新幹線のホームになっている。
印画紙用現像液でフィルムを現像して、コントラストを強調したもの。
これはうまく行ったが、真っ黒だったり真っ白だったり、失敗したカットもある。