DSC-X110の動画
1999/12/12 Sun 02:11 +09:00 カメラ
インターネット用なら結構使える
サンヨーのデジタルカメラは「動画デジカメ」がキャッチフレーズで短い時間の動画も撮ることができます。ソニーやパナソニック、カシオなど動画を記録できるカメラは他社からも出ていて。全部を買って確かめることは経済的に無理。パソコン雑誌の付録CD-ROMに、動画も記録できるデジタルカメラの画像のいろいろが収録されていました。そのCD-ROMと記事によるとサンヨーがピチイチ、他機種は音が入らなかったり、動画がなめらかでなかったり、発色が悪かったりだったので、なんとなくホッという感じ。ただし静止画については別です。念のため。

160×120ピクセル 293KB
「ながでんのおと」の3500系に掲載したもの。
低解像度にしてもダウンロードに時間がかかるので、
少し短くして軽くしました。

320×240ピクセル 1,091KB
東急・池上線の1000系【洗足池〜石川台】、
かなり短くして低解像度にしましたが、それでも重い……です。
ダウンロードするときはご注意を。
動画は上の2つのサイズで記録されます。残念ながらビデオのような大きな画面ではありません。静止画はjpgなのでパソコンですぐ見ることができますが、動画の画像はAVI形式で記録され、パソコンでは見ることができません。音だけは出ます。別売りのツールにはいろいろ入っていて、動画も見れたり、Quick Time形式に変換することができます。上の2つはそれで変換・圧縮したものです。新しい機種は初めからQuick Timeで記録され、サイズも640×480ピクセルにようになりました。
はじめからきれいな動画を記録することが目的なら、もちろんビデオの方がいいでしょう。メモ用のデジカメと割切り、簡単な動画も記録できればと思っていたのでこれで十分。インターネットに掲載するなら結構使えると思いっています。
サンヨーのデジタルカメラは「動画デジカメ」がキャッチフレーズで短い時間の動画も撮ることができます。ソニーやパナソニック、カシオなど動画を記録できるカメラは他社からも出ていて。全部を買って確かめることは経済的に無理。パソコン雑誌の付録CD-ROMに、動画も記録できるデジタルカメラの画像のいろいろが収録されていました。そのCD-ROMと記事によるとサンヨーがピチイチ、他機種は音が入らなかったり、動画がなめらかでなかったり、発色が悪かったりだったので、なんとなくホッという感じ。ただし静止画については別です。念のため。

160×120ピクセル 293KB
「ながでんのおと」の3500系に掲載したもの。
低解像度にしてもダウンロードに時間がかかるので、
少し短くして軽くしました。

320×240ピクセル 1,091KB
東急・池上線の1000系【洗足池〜石川台】、
かなり短くして低解像度にしましたが、それでも重い……です。
ダウンロードするときはご注意を。
・どちらも画像クリックすると Quick Time ムービーが起動します。
【注意】ロード時間が少しかかります。見るためにはQuickTimeプラグインが必要です。
動画は上の2つのサイズで記録されます。残念ながらビデオのような大きな画面ではありません。静止画はjpgなのでパソコンですぐ見ることができますが、動画の画像はAVI形式で記録され、パソコンでは見ることができません。音だけは出ます。別売りのツールにはいろいろ入っていて、動画も見れたり、Quick Time形式に変換することができます。上の2つはそれで変換・圧縮したものです。新しい機種は初めからQuick Timeで記録され、サイズも640×480ピクセルにようになりました。
はじめからきれいな動画を記録することが目的なら、もちろんビデオの方がいいでしょう。メモ用のデジカメと割切り、簡単な動画も記録できればと思っていたのでこれで十分。インターネットに掲載するなら結構使えると思いっています。
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音の出る切符
2001/10/28 Sun 00:46 +09:00 長野電鉄

1978.6.24と日付が入っている
長野電鉄の「音の出る乗車券」が出てきました。全線開通50周年記念乗車券でソノシートに切符が付いているもの。今じゃCD-ROM、MDが当たり前でプレーヤーは見られないですね。1978年だとまだオーディオブームの真っ最中。これをプレーヤーに乗せると走行音や車内放送が聞こえます。確か第1弾が話題になって、続けて出たんだと思います。
木島線も来年は廃止されるようです。鉄道記念日にはED5000が新OSカー10系の先頭に立った特別列車が運行されたようです。10月21日に急に長野へ行くことになって、時間が空けばとデジカメは持っていったのですが、結局気力がなく、そのまま帰りに。ちょっとバテ気味で帰りはずっと寝てました。せっかく持っていったので長野駅で撮ったのが下のカット。

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「ながでんのおと」の間違い
2003/12/01 Mon 02:05 +09:00 長野電鉄
長野在住の大日方さんからメールをいただき、お知りあいの小林宇一郎氏とともに、間違いや補足をしていただきました。ありがたいことです。<(_ _)> 該当個所は修正しました。以前に見た方に一目で変更箇所がわかった方がいいと思いますので、いただいたご指摘をそのまま掲載させていいだきます。 私はミスタッチが多いので、仕事でも。 (^ ^;)
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●佐久鉄道
佐久鉄道(現・JR小海線)……正確には現・JR小海線一部。
河東線は佐久鉄道より免許譲渡……譲受では。
●長野電気鉄道
河東鉄道と長野電気鉄道が合併、長野電鉄株式会社が誕生した。……正確には河 東鉄道は長野電気鉄道を合併、長野電鉄株式会社と改称した。
平隠(ひらお)線……平穏
●蒸気機関車
1形運転整備重量26.5t
1号は国鉄1268→日本鋼管川崎
2号は国鉄1269→長門鉄道
4号は国鉄1267
4号写真説明:ながでん開業当時の姿……ながでんではなく、河東鉄道あるいは 単に開業当時とした方がよろしいのでは。
9号は常総筑波鉄道9号
●電車形木造客車
台車:MCB27(通称ブリル型)のようである。……明治45年式電車用
●200系
モハ201形……モハ200形
モハニ231形……モハニ230形
経歴のモハニ201……モハ201
経歴のモハ231…モハニ231
● 400系
市外地立体化……市街地立体化
ECC式電動カム軸式……EEC式電動カム軸式
●500系
竣工図は230形と同じなので……竣工図は130形と同じなので
現川崎車両……川崎重工業
●600系
川崎造船兵庫工場製……川崎造船所兵庫工場製
現川崎車両……川崎重工業
600系の台車はその後、D−16(又はUD−26)に全車履き代えられてい ます。 保存中のモハ604の台車は上田交通時代、東急3450形の川崎3450台車に履 き替えられたものです。(結果的にはオリジナルに近い?) モハ611も上田へ譲渡されたが、竣工はしていませんでした。
●1000系
客用扉の補強ステップが付いているのは昭和23年製造の1001、1002、1051、 1052の4両のみ。当初、保存はステップ付きの1001を予定していたが、老朽化が 激しく、やむなくステップ無しの1003にした。
●1100系
国鉄からの払い下げに関し、一部車両は現物と書類上の番号が異なっている。
●2000系
D編成登場時はマルーンとクリームを塗り分けで「くりまんじゅう」と言う人も いた。
A・B編成 狭軌75kW、WS駆動装置……狭軌75kW、WN駆動装置
D編成 空気バネ台車採用FS510……NA−315(T)、台車の説明部分も。
2000系A〜C編成の台車は軸箱支持方式が天秤ばね形から ウィングばね形に変わっています。(昭50年代かと)写真は改造前です。 その後、1999年にA編成のみが台車、制御機器を3500系とほぼ同じものに交換さ れています。
C編成登場時はモハの妻寄りにラジオのアンテナがあ りましたが、取り外されています。
●0系
ローレール賞……ローレル賞
●貨車
スム121は東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償と して譲受したもので籍は入っていたはず。
●ながでん情景
柳原陸橋下に見える複線用地は柳原駅から千曲川に伸びていた砂利採取線の跡です。この陸橋が出来たとき、すでに砂利線の役目は終わっていたように思う。 ちなみに長電の砂利線は河東鉄道開通当初、赤岩にあったが、その後、柳原、さ らに金井山にもできたというがこの点は曖昧です。
●乗り入れ169系
撮影が不明な駅は信州中野の上り方と思われます。
さて、乗り入れ169系の場所を信州中野の上り方と思われると記しましたが、 169系の電動車の位置からどこかの駅の下り方と思われます。そこで3線以上の駅 を考えてみますと小布施が思い当たります。写真左に見える駅名票が小布施とも 読めるのですが…いかがでしょうか。
●その他
○○形が一般的です。
山の内線が正確な呼称です。
プロフィール欄にあるC11のバック運転…C12では。C11は長野地区には無 かったような。
●佐久鉄道
佐久鉄道(現・JR小海線)……正確には現・JR小海線一部。
河東線は佐久鉄道より免許譲渡……譲受では。
●長野電気鉄道
河東鉄道と長野電気鉄道が合併、長野電鉄株式会社が誕生した。……正確には河 東鉄道は長野電気鉄道を合併、長野電鉄株式会社と改称した。
平隠(ひらお)線……平穏
●蒸気機関車
1形運転整備重量26.5t
1号は国鉄1268→日本鋼管川崎
2号は国鉄1269→長門鉄道
4号は国鉄1267
4号写真説明:ながでん開業当時の姿……ながでんではなく、河東鉄道あるいは 単に開業当時とした方がよろしいのでは。
9号は常総筑波鉄道9号
●電車形木造客車
台車:MCB27(通称ブリル型)のようである。……明治45年式電車用
●200系
モハ201形……モハ200形
モハニ231形……モハニ230形
経歴のモハニ201……モハ201
経歴のモハ231…モハニ231
● 400系
市外地立体化……市街地立体化
ECC式電動カム軸式……EEC式電動カム軸式
●500系
竣工図は230形と同じなので……竣工図は130形と同じなので
現川崎車両……川崎重工業
●600系
川崎造船兵庫工場製……川崎造船所兵庫工場製
現川崎車両……川崎重工業
600系の台車はその後、D−16(又はUD−26)に全車履き代えられてい ます。 保存中のモハ604の台車は上田交通時代、東急3450形の川崎3450台車に履 き替えられたものです。(結果的にはオリジナルに近い?) モハ611も上田へ譲渡されたが、竣工はしていませんでした。
●1000系
客用扉の補強ステップが付いているのは昭和23年製造の1001、1002、1051、 1052の4両のみ。当初、保存はステップ付きの1001を予定していたが、老朽化が 激しく、やむなくステップ無しの1003にした。
●1100系
国鉄からの払い下げに関し、一部車両は現物と書類上の番号が異なっている。
●2000系
D編成登場時はマルーンとクリームを塗り分けで「くりまんじゅう」と言う人も いた。
A・B編成 狭軌75kW、WS駆動装置……狭軌75kW、WN駆動装置
D編成 空気バネ台車採用FS510……NA−315(T)、台車の説明部分も。
2000系A〜C編成の台車は軸箱支持方式が天秤ばね形から ウィングばね形に変わっています。(昭50年代かと)写真は改造前です。 その後、1999年にA編成のみが台車、制御機器を3500系とほぼ同じものに交換さ れています。
C編成登場時はモハの妻寄りにラジオのアンテナがあ りましたが、取り外されています。
●0系
ローレール賞……ローレル賞
●貨車
スム121は東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償と して譲受したもので籍は入っていたはず。
●ながでん情景
柳原陸橋下に見える複線用地は柳原駅から千曲川に伸びていた砂利採取線の跡です。この陸橋が出来たとき、すでに砂利線の役目は終わっていたように思う。 ちなみに長電の砂利線は河東鉄道開通当初、赤岩にあったが、その後、柳原、さ らに金井山にもできたというがこの点は曖昧です。
●乗り入れ169系
撮影が不明な駅は信州中野の上り方と思われます。
さて、乗り入れ169系の場所を信州中野の上り方と思われると記しましたが、 169系の電動車の位置からどこかの駅の下り方と思われます。そこで3線以上の駅 を考えてみますと小布施が思い当たります。写真左に見える駅名票が小布施とも 読めるのですが…いかがでしょうか。
●その他
○○形が一般的です。
山の内線が正確な呼称です。
プロフィール欄にあるC11のバック運転…C12では。C11は長野地区には無 かったような。
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スム121の謎
2003/12/06 Sat 02:02 +09:00 長野電鉄
ながでんのおとの間違いをご指摘いただいた前に、貨車を研究している澤内さんからも貨車についてご指摘をいただき、スム121の車籍が未確認のこととワブ1を追加しました。大日方さんから「スム121の籍は入っていたはず。」と修正しました。
澤内さんからスム121についてのメールをいただきましたので掲載します。私は模型のための資料で写真や図面、他を見ていたので外見中心で実車には弱いところがあるのです。長野電鉄については比較的資料や聞いたりしたメモが多くあるので他のページとは違う内容にしました。そんなわけで「スム121の謎」については、私には踏み込めない“領域”になってしまいます。(^ ^;)
それなしても大日方さんと澤内さんには頭が下がります。
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「東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償として譲受」となると、つじつまはあうのですが、多少の再検討が必要となります。
1.責任関係
まず、「東武線内での事故」の責任の所在で、東武側の責任事故の場合は納得がいくのですが、一方で事故車の方はどうなったのか、つまり旭川電気軌道乗り入れ中に事故をおこして引き取らされた石炭車(→のち三菱大夕張鉄道へ譲渡され、現在も保存されている)のように、長電車の方は東武が責任とって引き取ったのか?との疑問が沸きます。
逆に東武車が長電乗り入れ中に事故を起こし、責任をとって引き取った、とのほうが論としてはスッキリするのですが、しかし、この場合だと有蓋車が1両、純増となり統計面でつじつまがあわなくなってしまいます。
そのため、許認可上、バーターをしている可能性をも考えたくなります。
2.入籍時期
次に時期をめぐる問題で、この時期の許認可関係の調査は極めて困難のため(実は許認可関係は戦前関係の方が容易で、昭和30年代中期〜50年代初頭の調査が一番難しいのです)、典拠は「鉄道公報」の連絡直通社車関係の達が重要な意味を持ちます。
そのなかでも東武の項目では昭和44年4月24日の通報でスム601が姿を消すので(ちなみに東武の竣工図ではスム610が欠番となっており、このあたりの関係は謎)、ここから昭和44年頃と書いたのですが、前項の責任関係からすれば、1年程度さかのぼる必要があります。
ご存知だとは思いますが、「ヨンサントウ」で長電貨車は全車、連絡直通認可を剥奪されており、東武に入線中の事故となると、昭和43年9月以前でないとつじつまが合いません。そして、現車は二段リンク化されていたので、昭和42〜43年の間のごく狭い時期に、「事件」は発生したと考えられます。
3.直通車認可
東武としては、2000両近くの貨車を持っていたので、大した問題ではないのかも知れませんが、それでもやはり二段リンクの優秀車を手離したのですから、長電貨車で唯一、「ヨンサンオウ」を乗り越える資格がありました。が、なぜ、連絡直通車申請をしなかたのか解せないものがあります。
澤内さんからスム121についてのメールをいただきましたので掲載します。私は模型のための資料で写真や図面、他を見ていたので外見中心で実車には弱いところがあるのです。長野電鉄については比較的資料や聞いたりしたメモが多くあるので他のページとは違う内容にしました。そんなわけで「スム121の謎」については、私には踏み込めない“領域”になってしまいます。(^ ^;)
それなしても大日方さんと澤内さんには頭が下がります。
「東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償として譲受」となると、つじつまはあうのですが、多少の再検討が必要となります。
1.責任関係
まず、「東武線内での事故」の責任の所在で、東武側の責任事故の場合は納得がいくのですが、一方で事故車の方はどうなったのか、つまり旭川電気軌道乗り入れ中に事故をおこして引き取らされた石炭車(→のち三菱大夕張鉄道へ譲渡され、現在も保存されている)のように、長電車の方は東武が責任とって引き取ったのか?との疑問が沸きます。
逆に東武車が長電乗り入れ中に事故を起こし、責任をとって引き取った、とのほうが論としてはスッキリするのですが、しかし、この場合だと有蓋車が1両、純増となり統計面でつじつまがあわなくなってしまいます。
そのため、許認可上、バーターをしている可能性をも考えたくなります。
2.入籍時期
次に時期をめぐる問題で、この時期の許認可関係の調査は極めて困難のため(実は許認可関係は戦前関係の方が容易で、昭和30年代中期〜50年代初頭の調査が一番難しいのです)、典拠は「鉄道公報」の連絡直通社車関係の達が重要な意味を持ちます。
そのなかでも東武の項目では昭和44年4月24日の通報でスム601が姿を消すので(ちなみに東武の竣工図ではスム610が欠番となっており、このあたりの関係は謎)、ここから昭和44年頃と書いたのですが、前項の責任関係からすれば、1年程度さかのぼる必要があります。
ご存知だとは思いますが、「ヨンサントウ」で長電貨車は全車、連絡直通認可を剥奪されており、東武に入線中の事故となると、昭和43年9月以前でないとつじつまが合いません。そして、現車は二段リンク化されていたので、昭和42〜43年の間のごく狭い時期に、「事件」は発生したと考えられます。
3.直通車認可
東武としては、2000両近くの貨車を持っていたので、大した問題ではないのかも知れませんが、それでもやはり二段リンクの優秀車を手離したのですから、長電貨車で唯一、「ヨンサンオウ」を乗り越える資格がありました。が、なぜ、連絡直通車申請をしなかたのか解せないものがあります。
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ながでんモハニ10
2003/12/07 Sun 01:59 +09:00 長野電鉄

ながでん関係の話しが続きます。大日方さんから再度ながでんのおとの間違いのご指摘メールをいただき、追加修正しました。 そのとき電車形客車を電装したモハニ10形の左右から撮った模型の写真をいただきました。
北川原征夫さん製作で、小林宇一郎さんが譲り受け、大日方さんが一時保管しているものです。木造のレキ1形のキットを基に作られたとかで箱には1988年5月と書いてありそうです。以前、小林さんから持っているというお話しは聞いたことがあります。
最近デジカメを紛失しました。そのためもありますがいただきものの話題ばかりですが……。

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幻の長電2000系特急
2005/09/05 Mon 21:11 +09:00 長野電鉄
発端は以前、長野電鉄2000系D編成製造時に導入が検討された先頭展望車の図面を知りませんか、とメールをいただいた吉水さんから、「幻の展望特急車の型式図が出ている鉄道ピクトリアルを購入しました。」と再度メールをいただいたことでした。東急8500系が長野電鉄に行くと息子からも情報をもらっていたので、リンクしていただいている長野電鉄のホームページへ行ってみました。そうしたら「レールファンながでん」もできていたのです。知りませんでした。東急8500系導入の楊子とともに「小田急ロマンスカー10000形(2編成)の長野電鉄への譲渡について」も書かれていて、展望特急の偶然に驚きました。
それから小田急のホームページにも同ニュースが掲載されたり、朝日新聞にもカラー写真入りで掲載されたりして、幻の特急展望車が実現されることになりました。当時導入に至らなかった長野駅の複雑な構造も現在はなくなり問題はないでしょう。特急2000系のA・B車齢も相当なものになります。長野電鉄オリジナル車両がどんどん廃車になるのは残念なことですが。
下の写真は環七を荒川方向へチャリで走ったときに世田谷代田駅を通過する小田急ロマンスカー10000形(HiSE)の写真の再掲載です。まさか長野電鉄で走るとは……。ちなみに吉水さんによると幻の展望特急車3000系の型式図が掲載されている鉄道ピクトリアルは431号(1984年4月)だそうです。名鉄7000系に瓜二つ。2000系特急車が名鉄5000系と似ているのと同じですね。
それから小田急のホームページにも同ニュースが掲載されたり、朝日新聞にもカラー写真入りで掲載されたりして、幻の特急展望車が実現されることになりました。当時導入に至らなかった長野駅の複雑な構造も現在はなくなり問題はないでしょう。特急2000系のA・B車齢も相当なものになります。長野電鉄オリジナル車両がどんどん廃車になるのは残念なことですが。
下の写真は環七を荒川方向へチャリで走ったときに世田谷代田駅を通過する小田急ロマンスカー10000形(HiSE)の写真の再掲載です。まさか長野電鉄で走るとは……。ちなみに吉水さんによると幻の展望特急車3000系の型式図が掲載されている鉄道ピクトリアルは431号(1984年4月)だそうです。名鉄7000系に瓜二つ。2000系特急車が名鉄5000系と似ているのと同じですね。

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ながでんのおと更新
2007/02/08 Thu 03:17 +09:00 長野電鉄

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長野電鉄2000系Bトレインショーティ
2007/08/29 Wed 01:14 +09:00 長野電鉄

少し前になりますが、長野電鉄2000系特級車の3つの塗装のBトレインショーティが発売されたとホームページで見ました。もう日がたっているのでないと思いつつ、帰りに長野駅のキップ売り場に寄ると2つの塗装が残っていました。
現在の2000系特急車の塗装は売り切れ。デビュー当時のマルーン一色に白帯と、前面金太郎の腹掛けスタイルの通称リンゴ塗装が残っていたのですぐ購入。JRの長野駅の新幹線のホームに向かいましたが、お盆が過ぎたというのにホームは人の列。初めの列車には満員でのれないので、次の列車に並びました。
どうやら日曜日ということもあって東京に帰る人も多いこともありますが、長野で何かの大会があったようで、「シャトルバスに乗った人がみんな並んでいる……」というようなことを後ろに並んだ人が携帯電話で話していたので、多分そうなのでしょう。
とりあえず購入したので、時間を見て2両の2000系特急車Bトレインショーティを組み立ててみようと思います。それにしても私鉄各社から発売されているシューティは価格がまちまちですね。長野電鉄は安かったけど、以前購入した東急5000系は高かった!!。
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