帝釈人車鉄道
2004/11/07 Sun 01:44 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道


入館料は100円。人車の実物やレプリカも展示されていたり、写真パネルも多く、国立公文書館の展示よりも、私には好ましく思いました。人車というテーマが私向きだということもありますが、豆相人車鉄道のポイントの現物にはびっくり。 よく集めたと感心しました。
帝釈人車鉄道についても車両が笠間人車に譲渡、その後松山人車にも使われたなど、いろいろ知りました。複線の人車軌道だったんですね。今日はなかったのですが、人車の運転をする日もあるんですね。小学生を対象とした人車模型工作教室もあるようで、なかなか面白い展示でした。

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豆相人車鉄道
2006/12/11 Mon 00:45 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道


確か車体はレプリカで、別に展示してあったレールが本物だったと思います。豆相人車鉄道は人車鉄道としては最も有名で、小説にも多く登場。雨宮敬次郎の手で全通、後に熱海軽便鉄道となって蒸機運転になり、さらに大日本軌道株式会社小田原支社になるなど、本や他のホームページに詳しく出ています。
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豆相人車鉄道
2007/02/13 Tue 00:14 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

3連休の真ん中の日、豆相人車鉄道、後の熱海軽便鉄道が走っていた小田原〜熱海に行ってきました。前からいつかはと思っていたのです。ただ早めに出かけるつもりが休みとなると身体が言うことを聞かず、起きたのは昼でした。久しぶりのチャリでの輪行です。
旧道をあちこちさがしながら走ったら真鶴で完全に暗くなってしまったので、真鶴駅から帰りました。旧道は狭くて休みとあって車も多く歩道が全部あるわけではないので、小田原近くは少し注意が必要です。
上の写真は根府側駅の跡近くに立ててあったもの、ここを過ぎるとずっと登り坂、お客も降りて押したというのもわかります。真鶴に入ると少しずつ下りに。真鶴から先にもまた行ってみます。
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人車小田原駅跡
2007/02/15 Thu 02:01 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

小田原に行く前にウェブで調べると「ガイドマック豆相人車鉄道歴史街道物語(豆相人車鉄道地域活性化協議会)」のパンフレットがよくできたているようで、そのままスキャニングして載せているページがありました。これはラッキーとプリントアウト。それと1年ほど前の月刊紙「旅」にも豆相人車の跡を歩いたことが出ていました。この2つを元にでかけました。しかし、カメラを持っていくことを忘れました。デジカメの電池も切れていて、小田原駅前のコンビニで乾電池で充電できるものを購入。これでなんとか写真が撮れるようになったのです。
まず豆相人車と熱海軽便鉄道の小田原駅跡の石碑。あちこちに出ていたのですぐわかるとおもっていたのですが行きつ戻りつして歩道橋の影にあるのを見つけました。豆相人車鉄道歴史街道物語(以下・街道物語)によると人車時代は駅舎はなく、引き込み線のみと出てました。この石碑の位置から細い道が出ていて、多分これが跡なのだと思います。
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小田原水産市場
2007/02/16 Fri 01:58 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

人車小田原駅跡の石碑がある場所から、国道1号を直角に曲がる細い道があって進んで行くと水産市場に出ます。街道物語によると、人車は市場から漁港あたりを通ったらしい。水産市場のまわりには魚料理を食べさせる店と直売店があって、結構人が出ていました。さらに進むと小田原漁港に出て、道は漁港をぐるっとまわっています。道は狭いのに車は切れ目がなく続いて、蒲鉾屋と釣具店があります。水産市場が上の写。下は小田原漁港。

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軽便・早川〜石橋駅跡
2007/02/18 Sun 22:08 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

街道物語で人車跡と書かれている道は、小田原漁港を過ぎて国道153号を横切って続いています。日下部邸の前が軽便の早川駅ということで表札をさがしたらありました。旧道はずっと続いていて、途中から国道153号といっしょに。上が国道を横切るところ。下は早川駅があったと言われる場所。

国道を行くと、旧道が集落の間を通るようになります。軽便石橋駅はタバコ屋の前と街道物語には書かれているのですがタバコ屋はなし。なくなったのかなっ。バス停の石橋はありました。それが下の写真。

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米神〜根府川駅跡
2007/02/21 Wed 01:21 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

軽便石橋駅があったと思われる集落を抜けると、また旧道になる。国道153号より一段高いところに道路はあって、そこからは海がよく見えます。途中、山に向かう坂道があり、源頼朝が平家討伐旗挙げをした石橋山古戦場と看板が。車が次々と降りてきます。本当かどうかわからないけど、我が家は源氏の家紋で義仲が祖先と聞いているので寄ってみようかとも考えたが、遅く家を出たので今回はパス。
しばらくすると国道153号と合流。集落が見えてくるとまた旧道らしき道が集落に入っていきます。人車と軽便の米神駅は集落の中にあったらしい。街道物語には人車と軽便の駅は別のルートを通っていたらしいと書かれています。下が米神の集落。

ここから旧道は登り坂が続くようになる。これまで国道と併走していた旧道は山の中に入ってくねくねと曲がった登り坂。街道物語もここから先は出ていないのです。山ばっかりだからなのかな。
初めに載せた根府川駅跡のプレートには、乗客も降りて押した人車と書かれていたけど、まさにその通りだっただろうと思われる坂道の連続。道路に真鶴町の看板が見えると、こんどは下りの連続。多分、今度は人車に飛び乗ってブレーキ操作をしたのではないかと想像してチャリで走りました。
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城口駅跡
2007/02/25 Sun 22:47 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

下り坂が続く国道153号をブレーキをかけながら走ると、JR真鶴駅が見えてきます。線路と並行して走り、153号と別れて旧道と思われるガード下の道を行ったところで真っ暗になったので、これ以上行ってもしょうがないので真鶴駅に戻りました。
真鶴駅の横に人車城口駅跡のプレートがありました。上の写真。暗くならなかったら、このまま通り過ぎてしまったかも。このプレートの後に駐輪場があって、そこが人車城口駅の跡のよう。人車の当時はJR線はなかったわけですから。
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