長野電鉄木島線……
2002/04/07 Sun 22:31 +09:00 長野電鉄 > 木島線
ストープは火がついていたが誰もいない木島駅の待合室
3月31日に長野電鉄木島線が77年の幕を閉じました。地方私鉄の中では珍しく、開業以来の路線をなくすことなく走ってきた長野電鉄だったけど……。行ければ、と思っていたのですが忙しくて行けませんでした。リンクさせていただいているつぐみネットさんが最後の様子が詳しくレポートされています。
私が長野電鉄で通学していたときは、木島線には特急が走っていたし、本数もかなりありました。自社発注の車両の中で唯一東武から譲り受けた手動ドアの400系が走っていたのが河東線。当時の感覚から考えると廃止されるのなら河東線と思っていました。もっとも屋代〜木島は河東鉄道だったから木島線も河東線の一部とも言えます。
木島線が廃止になったのは豪雪地帯を走ることから除雪費用と人員が多くかかるためでしょうか。河東線は除雪は不要だし、JRと線路がつながっているので残ったのかもしれません。それと当時から無人駅もあったりして、経費もかからない路線だったのかもしれませんね。
木島線が廃止になったので「ながでんのおと」も少し変えないとだめかなっ。昨年、廃止になると言われて撮影した木島線の写真を並べてみました。
左/ワンマン運転の貼り紙・木島駅 右/1両に3人しか乗客はいなかった
左/平成11年から無人駅の貼り紙・木島駅 右/この方向幕も見られない
左/田上駅 右/ワンマンになった運転台
- -
阪鶴鉄道
2002/04/14 Sun 22:17 +09:00 廃線跡
京浜急行「新馬場駅」から海側に行くと阪鶴鉄道の蒸気機関車が保存してあると聞いて行ってみました。東品川公園に保存されてありました。ただし明石家さんまのテレビドラマの収録をしていて自由に撮れないのです。私はテレビは見ない方なので何のドラマ化はわかりません。困ったことに、多分肖像権に過敏になっているようで、カメラを持っていると「撮らないでください」と言われ続けました。
撮影現場じゃなく蒸気機関車を撮りにきたのだと説明、少しだけ撮りました。でも阪鶴鉄道の蒸気機関車の横にはモニター類を並べていて撮れる範囲は少しだけです。アメリカ・ピッツバーグ生まれの証拠はプレートなどに残っていました。それほど改造はうけていないようですが、塗装で日本的なおとなしい感じになっていました。
撮影現場じゃなく蒸気機関車を撮りにきたのだと説明、少しだけ撮りました。でも阪鶴鉄道の蒸気機関車の横にはモニター類を並べていて撮れる範囲は少しだけです。アメリカ・ピッツバーグ生まれの証拠はプレートなどに残っていました。それほど改造はうけていないようですが、塗装で日本的なおとなしい感じになっていました。
−書かれていた説明文−
7号蒸気機関車
この蒸気機関車は、明治30年に米国ピッツバーグから阪鶴鉄道が輸入したもので、同鉄道が明治40年8月の国有化に伴い、日本国有鉄道2850形第2851号となりました。昭和20年6月には西武鉄道が国鉄から払い下げをうけ同社第7号となり、旧西武鉄道川越線で活躍しました。その後、上武鉄道でも使用され、昭和44年3月西武鉄道から品川区に寄贈されこの公園に設置しました。
<7号蒸気機関車の大きさ>
・重さ 27.35t
・長さ 8967mm
・幅 2337mm
・高さ 3531mm
平成4年 品川区
- -
1/1