東洗足
2004/07/04 Sun 02:32 +09:00 東急電鉄 > 大井町線
東急大井町線・旗の台駅が急行を走らすための待避線を増やすための工事中。木造の駅舎とホームが残っていて、池上線との乗換もあって出口も多く、いささか複雑でもあります。特に池上方面から自由が丘方面に乗換るときは、階段を昇って降りて、また昇るとようになります。それは別として、板張りの乗換階段がいい雰囲気です。近くを通れば工事の進行具合を見ていました。
旗の台駅からすぐの、環七をオーバークロスする方向跨線橋の横に、橋台のみがありました。東洗足駅があったとか、環七をオーバークロスする前の跡があるとか聞いたことがあります。これがどちかかなのかなっ。SH900iを持ち歩くようにしてので撮ってみました。その上を、仮設線路の工事が進んでいました。
旗の台駅からすぐの、環七をオーバークロスする方向跨線橋の横に、橋台のみがありました。東洗足駅があったとか、環七をオーバークロスする前の跡があるとか聞いたことがあります。これがどちかかなのかなっ。SH900iを持ち歩くようにしてので撮ってみました。その上を、仮設線路の工事が進んでいました。
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シオサイト
2004/07/11 Sun 02:24 +09:00 東京都交通局 > ゆりかもめ
以前、工事中のときに寄ってみたシオサイトに、今度は完成してから行ってみました。ゆりかもめの汐留駅も完成、道路他も工事中だったのがきれいに完成されています。地下を掘って広場もあって映画のブレトードランナーの中の一コマのような雰囲気。ゆりかもめはカープでの撮影が絵になるようです。下は竹芝桟橋付近。
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0哩(ゼロマイル)標識
2004/07/18 Sun 02:18 +09:00 博物館 > 新橋停車場
工事中のときに新橋ステーションを模した建物からホームが伸びて、下に線路ちゼロマイル(ゼロキロじゃなかった)ポストが立っていました。ホームの上がオープンテラスになると予想していたのですが、完成してもホームはそのままでした。屋根も骨組みのまま。0哩標識の説明板が立っていました。内容は下に。枕木が見えないほどバラストを盛っている意味がわかりました。
0哩標識
1870年4月25日(明治3年3月25日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936(昭和11)に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mのレールの軌道を復元しました。1958(昭和33)年10月14日も、旧国鉄によって『0哩標識』 は鉄道記念物に指定され、1965(昭和40)年5月12日、「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されました。
創業時の線路
創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対称のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは練鉄製で、1873年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道使われたあと、新潟県柏崎市の製油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両社からご寄進いただきました。
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