吉沢橋架け替え
2007/05/02 Wed 01:31 +09:00 東急電鉄 > 玉電
ブログ化してすぐ、元玉電砧線が渡っていた吉沢橋の架け替えの様子を載せたのですが、4月30日に行ってみたら橋は完成して通行ができるようになっていました。まだ河岸工事は継続中ではありますが。両側に歩道があって、前より広くなっていました。元々路面電車の鉄橋を再利用していたので無理はありませんが。玉電時代の面影がなくなったかわりに、路面電車のプレートと碑が建てられました。下がその写真。もうひとつ下はアップです。石積みの河岸工事が終わると、完全に以前の感じはなくなりますね。
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南武支線浜川崎
2007/05/05 Sat 22:17 +09:00 JR東日本 > 南武線
南武支線浜川崎駅に行くと、以前置いてあった工事用ディーゼルが同じ場所に。多分、動かさずそのまま。5月ということもあって、草がなく構内がきれいに感じました。南武支線の205系は前と同じ車両かと思っていたら、前の車番の後が残っていたので、入線して間もないのではないかと思います。前に205系に変わってすぐ行ってから2年ほどたっているので。車番のアップが下の写真。
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長野電鉄3500系
2007/05/06 Sun 02:44 +09:00 長野電鉄 > 長野線
今年の2月に長野電鉄にデビューした、元小田急ロマンスカー10000系に乗ったときに撮った、元営団地下鉄日比谷線の3500系を3つ。元東急8500系が入っても、長野電鉄の主力であることに変わりはありません。
4編成が止まっている須坂駅
村山橋を渡る
柳原駅を出て村山へ
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飯田町駅の跡
2007/05/13 Sun 21:34 +09:00 JR東日本 > 総武・中央線
ブログにする前に「甲武鉄道飯田町駅」の石碑の話を載せました。現在のホテルエドモントが実際に駅が合った場所で、何も残っていないと思っていたら、あるんですね。
仕事の帰りにエドモントの裏を通ると歩道に線路が。線路の内側には照明が埋め込まれているようで、夜にはレールに沿って灯りが点くようです。線路についての説明は見あたりません。いずれにしても飯田町駅があったことを記念したものであることは間違いないでしょう。
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多摩川
2007/05/16 Wed 01:46 +09:00 東急電鉄 > 東横線
暖かくなってきて外で動き回るのにいい季節になってきました。いつもブラッと行ってしまう多摩川。野球をしている向こうを東横線の車両が。実は桜が咲いたときにとったものですが……。
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南砂緑道
2007/05/23 Wed 01:15 +09:00 廃線跡 > 城東電車
ゴールデンウィークに都電というより城東電車の廃線跡を利用した緑道へ行ってきました。都電で生き残った荒川線が専用軌道が多かった王子電軌だったように、元は城東電軌という私鉄で、専用軌道が多いのに廃止になってしまったものです。
まず南砂緑道公園から城東電車の専用軌道跡へ。緑道はかなり広く、入口には子供の座った像がありました。下河原緑道の子供の像と似ています。
いきなり古い大砲が置かれていて、長州藩大砲鋳造場跡と説明板に出てます。三浦半島の砲台に据え付ける大砲を屋敷内で鋳造、そのあと下関に移し関門海峡の外国艦船を砲撃したのだそうです。
ここから亀戸まで一部は途切れますが、緑道は続きます。看板や標識には都電ではなく、すべて「城東電車」と書かれています。ホームページを見ると、復活の運動もあるようで。また小出しに載せていきます。
まず南砂緑道公園から城東電車の専用軌道跡へ。緑道はかなり広く、入口には子供の座った像がありました。下河原緑道の子供の像と似ています。
いきなり古い大砲が置かれていて、長州藩大砲鋳造場跡と説明板に出てます。三浦半島の砲台に据え付ける大砲を屋敷内で鋳造、そのあと下関に移し関門海峡の外国艦船を砲撃したのだそうです。
ここから亀戸まで一部は途切れますが、緑道は続きます。看板や標識には都電ではなく、すべて「城東電車」と書かれています。ホームページを見ると、復活の運動もあるようで。また小出しに載せていきます。
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トイレに城東電車
2007/05/24 Thu 01:54 +09:00 廃線跡 > 城東電車
長州藩の大砲鋳造所跡からもう少し南砂緑道を自家用2輪車で進むとトイレがあり、大きな路面電車の絵が目隠しの仕切に書かれています。かの吉川文夫氏が「これは阪堺電車の絵だ。ちゃんとした都電の絵に書き換えるべし」とお役所に言ったけど、予算がないということでそのままになっているとか。
言われてみるとまさに阪堺電車。せめて赤い帯だけでも加えるだけでも違うと思うけど。アイデイアは良かったのだけど。
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城東電車の車輪
2007/05/25 Fri 00:32 +09:00 廃線跡 > 城東電車
南砂緑道に城東電車の車輪が保存されている有名な場所ですね。緑道が越中島貨物線をくぐる手前にありました。トイレが横にあって、無造作に置いてあるという感じ。写真の右側は工事中なので、それが見えない側を撮影。簡単な説明が書かれていて、「城東電車は大正6年に設置され、昭和47年11月に廃止」ということです。
越中島貨物線の橋脚には「城東電軌こ線橋ガード」のプレート。都電という言葉はあまり出てこないですね。
跨線橋くぐりしばらく行くと明治通りに出ます。恵比寿から新宿、池袋、王子から砂町と明治通りはぐるっと回っているのですね。いつも恵比寿、渋谷付近の明治通りはなじみがあったので、江東区の明治通りは変な気分。
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亀戸緑道公園
2007/05/30 Wed 01:10 +09:00 廃線跡 > 城東電車
都電は南砂緑道を出ると明治通りをずっと走っていたようで、弾正橋のプレートなどに城東電車の話が書いてありました。明治通をずっと走っていたら亀戸駅に出てしまい、駅前の地図を見たら亀戸緑道がありました。南砂緑道と違って、駅に近いこともあって人通りが多いですね。
都電については、廃止前に錦糸堀車庫に行ったくらいで知識がないので、帰って来て近くの図書館に行ってみました。「懐かしの都電・41路線を歩く」(実業之日本社)があって、鉄道ファン向けの本ではなくて、都電を通して街の歴史を見るような本で、ある意味では都電の形式とかの話よりは面白い内容でした。
この本によると城東電軌は正式には城東電気軌道社と言ったらしい。「葛西橋−須田町の29系統」と「錦糸堀−日本橋の38系統」、それに全く知らなかったのですが荒川の東、「東荒川−今井橋の26系統」も敷いているのです。昭和27年に廃止、トロリーバスになったが、こちらも昭和47年に廃止。
それにしても須田町から出ている路線がやたらと多い。万世橋駅がターミナル駅だったことの名残なのだろうか。明治通りを走る都電時代の写真も出てました。全部の路線にしめる専用軌道の割合は少ないこともわかりました。
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