ひこいっちゃんころばし
2011/09/04 Sun 21:27 +09:00 軽便 > 三塩軌道跡
三塩軌道跡を戻っていくと出てくる立看「ひこいっちゃんころばし」。「ひこいっちゃん」は人名で転んだので「ころばし」。ところどころで2本のレールが現われてくれます。
実はサーバーが移転しました。私が移転したのではなく統合ということで。データは自動的に移動してくれたので問題はなかったのですが、このブログが書き込みできなくなっていました。8月は土日は一度も休めない、久しぶりに鬼のような仕事に首を突っ込んでしまったため、暇になったら確かめようと思っていたら9月になってしまいました。
結局パーミッションが変わってしまったため動作しなかったようで設定したら作動しました。まっ、とりあえずこの形で続けます。
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トロッコ現る
2011/09/05 Mon 03:01 +09:00 軽便 > 三塩軌道跡
大久保沢を渡ると軌道跡はUターン。反対にも軌道はあったようで枕木がなくなったレールが垂れ下がっていました。さらに進むと当時のトロッコを再現されていました。木曽の運材車とはちがった小型のタイプ。はじめはこれに人が乗ってブレーキだけで下ったようです。そして転んだり落ちたところに名前をつけたようで。
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雨宮治良兵衛
2011/09/11 Sun 23:42 +09:00 軽便 > 三塩軌道跡
三塩軌道跡を利用した西沢渓谷迂回路はここで終わり。さらにあるくとトイレなどがある建物がある入口があります。もう少し歩くと車が入れないように柵がある場所に折りたたみ自転車を置いていたので、これで一気に山梨市駅まで下ろうという考えです。
バス停や宿泊設備、売店があるところを過ぎ、来た道をすごいスピードで走っていくと、「雨宮○×」の石碑の前を通りました。確か軽便王であり、大日本軌道を作った雨宮敬次郎は山梨生まれ、もしかしてと戻りました。そしたら雨宮治良兵衛。雨宮姓は山梨・塩山地方に多いようでした。
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トロッコ再び
2011/09/18 Sun 17:13 +09:00 軽便 > 三塩軌道跡
山梨市駅に向かって坂道を下って行くと右手に石積みの小さなダムが見えてきます。その道路沿いに渓谷の帰り道で見たものと同じ三塩軌道のトロッコがあります。行くときにバスから見て、帰りに見ようと思っていたので近くに行きました。説明の看板もまったく同じ。三富村と塩山市を結んでいたので三塩軌道と書かれています。道路の途中で塩山に向かう道路が分かれていたので、そのあたりから塩山に分かれたのかもしれません。
途中で「ほうとう」の看板や旗が見えて食べようと思ったのですが、小雨が降ってきたのでそのまま走り、山梨市駅横の居酒屋で食べました。私の好みではここははずれ。店内もうるさく、女性店員の教育も悪く、多分2度と行かないでしょう。帰りに宣伝してくれとボールペンを渡されたけど、もらわなくても良かったなら「良いっ」と言いますよっ。これで三塩軌道の話は終わりです。
福岡在住の中野さんと相互リンクをしました。私と同年代で好みも似ているようです。お名前の中野にちなんだ切符などのコレクションが面白いですね。バナーをクリックするとリンクします。
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