Clip & Scrap

<< 「ながでんのおと」の間違い ::: ながでんモハニ10 >>

スム121の謎

2003/12/06 Sat 02:02 +09:00 長野電鉄

ながでんのおとの間違いをご指摘いただいた前に、貨車を研究している澤内さんからも貨車についてご指摘をいただき、スム121の車籍が未確認のこととワブ1を追加しました。大日方さんから「スム121の籍は入っていたはず。」と修正しました。

澤内さんからスム121についてのメールをいただきましたので掲載します。私は模型のための資料で写真や図面、他を見ていたので外見中心で実車には弱いところがあるのです。長野電鉄については比較的資料や聞いたりしたメモが多くあるので他のページとは違う内容にしました。そんなわけで「スム121の謎」については、私には踏み込めない“領域”になってしまいます。(^ ^;)

それなしても大日方さんと澤内さんには頭が下がります。

-----------------------------------------------------------

「東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償として譲受」となると、つじつまはあうのですが、多少の再検討が必要となります。

1.責任関係

 まず、「東武線内での事故」の責任の所在で、東武側の責任事故の場合は納得がいくのですが、一方で事故車の方はどうなったのか、つまり旭川電気軌道乗り入れ中に事故をおこして引き取らされた石炭車(→のち三菱大夕張鉄道へ譲渡され、現在も保存されている)のように、長電車の方は東武が責任とって引き取ったのか?との疑問が沸きます。

 逆に東武車が長電乗り入れ中に事故を起こし、責任をとって引き取った、とのほうが論としてはスッキリするのですが、しかし、この場合だと有蓋車が1両、純増となり統計面でつじつまがあわなくなってしまいます。

 そのため、許認可上、バーターをしている可能性をも考えたくなります。

2.入籍時期

 次に時期をめぐる問題で、この時期の許認可関係の調査は極めて困難のため(実は許認可関係は戦前関係の方が容易で、昭和30年代中期〜50年代初頭の調査が一番難しいのです)、典拠は「鉄道公報」の連絡直通社車関係の達が重要な意味を持ちます。

 そのなかでも東武の項目では昭和44年4月24日の通報でスム601が姿を消すので(ちなみに東武の竣工図ではスム610が欠番となっており、このあたりの関係は謎)、ここから昭和44年頃と書いたのですが、前項の責任関係からすれば、1年程度さかのぼる必要があります。

 ご存知だとは思いますが、「ヨンサントウ」で長電貨車は全車、連絡直通認可を剥奪されており、東武に入線中の事故となると、昭和43年9月以前でないとつじつまが合いません。そして、現車は二段リンク化されていたので、昭和42〜43年の間のごく狭い時期に、「事件」は発生したと考えられます。

3.直通車認可

 東武としては、2000両近くの貨車を持っていたので、大した問題ではないのかも知れませんが、それでもやはり二段リンクの優秀車を手離したのですから、長電貨車で唯一、「ヨンサンオウ」を乗り越える資格がありました。が、なぜ、連絡直通車申請をしなかたのか解せないものがあります。

- -

Copy Ridht © 2006 ToyTrain All Rights Reserved.