Clip & Scrap

<< 木曾のモジュール ::: スム121の謎 >>

「ながでんのおと」の間違い

2003/12/01 Mon 02:05 +09:00 長野電鉄

長野在住の大日方さんからメールをいただき、お知りあいの小林宇一郎氏とともに、間違いや補足をしていただきました。ありがたいことです。<(_ _)> 該当個所は修正しました。以前に見た方に一目で変更箇所がわかった方がいいと思いますので、いただいたご指摘をそのまま掲載させていいだきます。 私はミスタッチが多いので、仕事でも。 (^ ^;)

-------------------------------------------------------------

●佐久鉄道
佐久鉄道(現・JR小海線)……正確には現・JR小海線一部。
河東線は佐久鉄道より免許譲渡……譲受では。


●長野電気鉄道
河東鉄道と長野電気鉄道が合併、長野電鉄株式会社が誕生した。……正確には河 東鉄道は長野電気鉄道を合併、長野電鉄株式会社と改称した。
平隠(ひらお)線……平穏

●蒸気機関車
1形運転整備重量26.5t
1号は国鉄1268→日本鋼管川崎
2号は国鉄1269→長門鉄道
4号は国鉄1267
4号写真説明:ながでん開業当時の姿……ながでんではなく、河東鉄道あるいは 単に開業当時とした方がよろしいのでは。
9号は常総筑波鉄道9号

●電車形木造客車
台車:MCB27(通称ブリル型)のようである。……明治45年式電車用

●200系
モハ201形……モハ200形
モハニ231形……モハニ230形
経歴のモハニ201……モハ201
経歴のモハ231…モハニ231

● 400系
市外地立体化……市街地立体化
ECC式電動カム軸式……EEC式電動カム軸式

●500系
竣工図は230形と同じなので……竣工図は130形と同じなので
現川崎車両……川崎重工業

●600系
川崎造船兵庫工場製……川崎造船所兵庫工場製
現川崎車両……川崎重工業
600系の台車はその後、D−16(又はUD−26)に全車履き代えられてい ます。 保存中のモハ604の台車は上田交通時代、東急3450形の川崎3450台車に履 き替えられたものです。(結果的にはオリジナルに近い?) モハ611も上田へ譲渡されたが、竣工はしていませんでした。

●1000系
客用扉の補強ステップが付いているのは昭和23年製造の1001、1002、1051、 1052の4両のみ。当初、保存はステップ付きの1001を予定していたが、老朽化が 激しく、やむなくステップ無しの1003にした。

●1100系
国鉄からの払い下げに関し、一部車両は現物と書類上の番号が異なっている。

●2000系
D編成登場時はマルーンとクリームを塗り分けで「くりまんじゅう」と言う人も いた。
A・B編成 狭軌75kW、WS駆動装置……狭軌75kW、WN駆動装置
D編成 空気バネ台車採用FS510……NA−315(T)、台車の説明部分も。
2000系A〜C編成の台車は軸箱支持方式が天秤ばね形から ウィングばね形に変わっています。(昭50年代かと)写真は改造前です。 その後、1999年にA編成のみが台車、制御機器を3500系とほぼ同じものに交換さ れています。
C編成登場時はモハの妻寄りにラジオのアンテナがあ りましたが、取り外されています。

●0系
ローレール賞……ローレル賞

●貨車
スム121は東武鉄道に乗り入れていた長電の貨車が事故を起こし、その代償と して譲受したもので籍は入っていたはず。

●ながでん情景
柳原陸橋下に見える複線用地は柳原駅から千曲川に伸びていた砂利採取線の跡です。この陸橋が出来たとき、すでに砂利線の役目は終わっていたように思う。 ちなみに長電の砂利線は河東鉄道開通当初、赤岩にあったが、その後、柳原、さ らに金井山にもできたというがこの点は曖昧です。

●乗り入れ169系
撮影が不明な駅は信州中野の上り方と思われます。
さて、乗り入れ169系の場所を信州中野の上り方と思われると記しましたが、 169系の電動車の位置からどこかの駅の下り方と思われます。そこで3線以上の駅 を考えてみますと小布施が思い当たります。写真左に見える駅名票が小布施とも 読めるのですが…いかがでしょうか。

●その他
○○形が一般的です。
山の内線が正確な呼称です。
プロフィール欄にあるC11のバック運転…C12では。C11は長野地区には無 かったような。

- -

Copy Ridht © 2006 ToyTrain All Rights Reserved.