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二子橋親柱

2003/04/27 Sun 00:37 +09:00 東急電鉄 > 玉電

二子橋親柱

二子橋 二子橋親柱
左/上の写真部分の拡大 右/世田谷区内の旧跡はこの石柱が目印

二子玉川駅から少し瀬田方面に行った246号線の高架下に、玉電がその上を走っていた時代の二子橋親柱が保存されていました。世田谷区の旧跡には必ず立っている赤字の石柱も。以下の説明が書かれていました。

この御影石の柱は、大正14年7月から昭和53年まで南へ約500メートル先の多摩川に掛かる二子橋の親柱として使われていた。
 二子橋が掛けられるまでは、「二子の渡し」と呼ばれる渡し船で対岸と行き来していました。二子橋の完成により渡し船は廃止状態となりましたが、昭和2年からはこの橋の上を電車も走るようになり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になりました。その後、交通量の増大に伴い、昭和41年には電車は専用橋に移り、昭和53年には拡幅工事が行われ、この親柱の使命は終わり、現在の柱に替えられました。

玉電が走っていた下を、現在は田園都市線が走っていて、地下に入るすぐ上は緑地帯となっています。この後玉電が走っていた道をたどってみたました。桜新町では「さくらまつり」の真っ最中。道の両側がいろいろな桜で満開でした。桜が付いていた意味が本当に理解できました。

二子橋親柱

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