Clip & Scrap

玉電砧線跡遊歩道

2003/04/13 Sun 01:01 +09:00 東急 > 玉電

玉電砧線跡遊歩道

玉電の砧線跡は遊歩道になっていて前に通ったときは素通り。いろいろ残っていると聞いて行ってみました。それと砧本村の位置を勘違いしていました。インターネットで確認してから行きました。よく見ていくと、いろいろ砧線跡を証明するものが残っているのですね。

上の写真と説明文は、左下の「砧線跡歩道」に書かれていたもの。右下は「砧線中耕地駅跡」で、池上鉄道の新奥沢駅の石碑と同じ形。両方とも世田谷区内にあるからですね。

その他にもマンホールや歩道にいろいろありました。やっぱり注意して見ていかないとわからないですね。

玉電砧線跡遊歩道

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玉電砧本村駅跡

2003/04/20 Sun 00:53 +09:00 東急 > 玉電

玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/新吉沢橋 右/東急境界石

砧線跡の遊歩道を抜けて多摩堤通りに出るあたりに「吉沢駅」があったようです。多摩堤通りを渡ったところにバス停の吉沢駅があり、東急の境界を示す石がいくつか残っていて、当時の東急のマークが彫られていました。もう少し進んで野川にかかる新吉沢橋は砧線のものを道路用に転用。これは結構有名で、あちこちのホームページで紹介されています。端の下部がガーター橋なので鉄道用だったことがわかります。鯉が群れて泳いでました。

砧線の跡の道路はここで右にカーブして砧本村に向かいます。 道路の幅が少し広くなって正面に公園が見えてきます。この公園が「砧本村駅」の跡のようです。道路の幅が広くなったところにかなり古い鉄柱が立っていました。砧線で使ったかどうかはわかりませんが、多分当時のものでしょう。もう少し進むと代替えバス(ずっと入っているのですね)の停留所があり木製の待合室が見えます。砧線で使っていたものを転用したと他のホームページに出ていました。なかなかいいですね。待合室の中には手書きの広告地図が3つも掲げてあって、当時のものかなっとよく見ると現在の地図でした。代替えバスは時刻表を見ると、かなりの本数が出ていました。砧線当時のままなのかなっ。

玉電砧本村駅跡
砧本村駅跡の公園の入り口。代替えバスが走る。
玉電砧本村駅跡
バス停の待合室は砧本村駅の転用
玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/公園の手前にあった古い鉄柱 右/待合室の中の広告地図
玉電砧本村駅
これは遊歩道にあった砧線の路線図

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二子橋親柱

2003/04/27 Sun 00:37 +09:00 東急 > 玉電

二子橋親柱

二子橋 二子橋親柱
左/上の写真部分の拡大 右/世田谷区内の旧跡はこの石柱が目印

二子玉川駅から少し瀬田方面に行った246号線の高架下に、玉電がその上を走っていた時代の二子橋親柱が保存されていました。世田谷区の旧跡には必ず立っている赤字の石柱も。以下の説明が書かれていました。

この御影石の柱は、大正14年7月から昭和53年まで南へ約500メートル先の多摩川に掛かる二子橋の親柱として使われていた。
 二子橋が掛けられるまでは、「二子の渡し」と呼ばれる渡し船で対岸と行き来していました。二子橋の完成により渡し船は廃止状態となりましたが、昭和2年からはこの橋の上を電車も走るようになり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になりました。その後、交通量の増大に伴い、昭和41年には電車は専用橋に移り、昭和53年には拡幅工事が行われ、この親柱の使命は終わり、現在の柱に替えられました。

玉電が走っていた下を、現在は田園都市線が走っていて、地下に入るすぐ上は緑地帯となっています。この後玉電が走っていた道をたどってみたました。桜新町では「さくらまつり」の真っ最中。道の両側がいろいろな桜で満開でした。桜が付いていた意味が本当に理解できました。

二子橋親柱

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玉電溝ノ口線

2003/04/29 Tue 00:30 +09:00 東急 > 玉電

東急田園都市線の「高津−溝ノ口」間に玉電時代の橋がまだ残っている、とインターネットで見て出かけてみましたが見当りませんでした。それで再度出かけたらありました。わかりにくい場所にあるのですね。まっ、だから残っているわけで……。

溝ノ口駅のすぐ高津駅寄りの高架真下でした。小さな狭い川(谷戸川というのだそうです)に蓋がかぶされて、廃品・不用品が捨てられて、猫が追いかけっこをしている場所でした。それにして田園都市線は玉電の玉川線・溝ノ口線の路を忠実に地下と高架にしているなぁ、と感じました。 高架の山側は高い塀で囲われて中はよく見えません。ぐるっと回って海側に行くと塀はなく、橋の上は工事の道具類が置かれています。製造プレートもこちら側にありました。「大正15年11月製作・佐藤鍋商店鉄工部」と読めます。

玉電溝ノ口線
こちらが山側
玉電溝ノ口線
こちらは海側
玉電溝ノ口線
海側に付いている製造プレート

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玉電大橋車庫

2003/05/04 Sun 00:21 +09:00 東急 > 玉電

玉電大橋車庫
目黒川にあった玉電の写真と説明

田園都市線の池尻大橋駅の近を流れている目黒川の近くに、東急バスの車庫になった元玉電の「大橋車庫」があった、というので玉川通りを渋谷方面に向かいました。両岸が桜波木の目黒川はすぐわかりました。大橋車庫跡も川の近くに「目黒区みどりの散歩道」に玉電の説明が書かれているので見当がつきます。

車庫跡と思われる場所は柵と塀で囲われていて再開発されるようです。木造の居酒屋さんが皿や茶碗、丼を運び出していました。まわりの家やビル、マンションなど空き家になっている建物も多いです。取り壊し作業も始まったばかりのよう。 柵と塀をグルッと回ってみると工期が知らせる平面図が貼ってあって路面電車の車庫にピッタリの扇型です。東急の変電所があったり、玉川通りの広告地図には「東急バス・大橋営業所」がまだ描かれたままです。しばらくは玉電を偲ぶことはできますが、ビル街になったら……。

玉電大橋車庫 玉電大橋車庫
左/ここから玉川通りに出る   右/バスの検車台が残っていた
玉電大橋車庫 玉電大橋車庫
左/工事の平面図  右/取り壊し工事が始まっていた
玉電大橋車庫 玉電大橋車庫
左/広告地図は東急バス大橋営業所  右/東急の変電所が敷地内に

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玉電渋谷

2003/05/10 Sat 02:18 +09:00 東急 > 玉電

昭和44年の5月10日、玉電は世田谷線を残して運転をやめました。廃止後の線路を撤去している写真をブローニーサイズのフィルムで撮っているはずなので、ポジの入っている箱をひっくり返してみました。ありました。ネガケースには44年7月と書かれているので廃止後2カ月の様子だと思います。しばらくは遠距離バスの発着場に使われていて、バス用のターンテーブルがあったのですが、現在は商業ビルが建ち並んで全く違う景観に変わっています。

玉電渋谷
玉電の線路の右は営団地下鉄銀座線の留置線。
銀座線渋谷
留置線の上も現在はビル街になっています

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吉沢橋

2006/09/21 Thu 01:40 +09:00 東急 > 玉電

吉沢橋

玉電砧線が野川を渡るのに使っていた「吉沢橋」は、玉電が廃止になった後、自動車などの橋に転用されていました。近くを通ったら鉄柱が何本も立っていて、迂回すると仮の橋がかかっていました。架け替え工事中。

以前の橋工事前の橋は左。見た目はどおってことない橋だったのですが、玉電砧線の遺構だと思うと何か淋しい気がします。まっ、転用された橋なので、狭いことはありました。架け替え工事前の様子は Old Crip & Scrap をご覧ください。

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吉沢橋架け替え

2007/05/02 Wed 01:31 +09:00 東急 > 玉電

新吉沢橋ブログ化してすぐ、元玉電砧線が渡っていた吉沢橋の架け替えの様子を載せたのですが、4月30日に行ってみたら橋は完成して通行ができるようになっていました。まだ河岸工事は継続中ではありますが。両側に歩道があって、前より広くなっていました。元々路面電車の鉄橋を再利用していたので無理はありませんが。玉電時代の面影がなくなったかわりに、路面電車のプレートと碑が建てられました。下がその写真。もうひとつ下はアップです。石積みの河岸工事が終わると、完全に以前の感じはなくなりますね。

吉沢橋記念

吉沢橋記念プレート

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