シボレーの折りたたみ自家用2輪車を。娘に完全に乗っ取られて、娘用に小学校高学年の時に買った、いわゆるママチャリが放置されたままになった。兄のお下がりの男の子用自転車が気に入らなくのと、身体が大きくなったこともあって、カミサンと娘でピンクのママチャリを買ってきた。大きくなるにつれ、何回か「椅子を高くして」と頼まれた。高校へ入学したころまでは、気に入って乗っていたが、高校生の最後当たりから「ダサイからやだ」と言うようになった。子供っぽい色と形が嫌になったのかも。
もっと小さい頃は、セーラームーンが大のお気に入りで机のまわりはセーラームーンだらけだっのに、小学校2年生頃から「ダサイ」と全部捨ててしまった。初代iMacが来た頃「こんなん欲しかったんだぁ」と叫んでいたので、高校生になったのであげようかと言ったら「気に入らない」と拒否。まっ、女心はわからない。
放置されたピンクの自転車だが、一時カミサンが使った。体重オーバー気味のカミサンは運動神経ゼロで、2回くらい乗っただけでまた放置された。二人とも乗らなくなって捨てようかという話をしていたので、会社に持って行くことにする。以前持って行った中国製の超思いママチャリは、深夜に盗まれてしまい、社員から自転車が欲しいと要望があったのだ。
そこで前の日曜日に空気を入れ、埃を払い、サドルをあげて乗って行く。変速なしなので歩道をゆっくり寄り道しながら行く。これで自転車置き場が広くなった。我が家のものではない埃まみれの自転車は、まだ2台放置されたままだ。
猪苗代湖畔にサイクリングロードがあるので行ってみる。初めは農道と兼ねているが、少し進むと、サイクリングロードらしくなる。ずっと走ると野口英世記念館とガラス博物館まで続いている。途中で磐梯山に方向を変え、磐越西線をオーバークロス。すごい登りが続くと緑の村に着く。いろいろな施設が点在していて、私の目的は沼尻軽便鉄道の車両。ここに保存されているのだ。
それと食堂が翁島駅の旧駅舎。中は昔の時刻表などがそのまま残っている。ずっと食事をしてなかった。というより、初めからここでそばを食べようと計画していたのだ。猪苗代に限らず、秩父、奥多摩など、廃線跡に行くとだいたい名物は「そば」。秩父にいったときはそば粉を買ってきて「そばがき」を食べた。猪苗代では喜多方ラーメンを家のお土産に買った。
それと食堂が翁島駅の旧駅舎。中は昔の時刻表などがそのまま残っている。ずっと食事をしてなかった。というより、初めからここでそばを食べようと計画していたのだ。猪苗代に限らず、秩父、奥多摩など、廃線跡に行くとだいたい名物は「そば」。秩父にいったときはそば粉を買ってきて「そばがき」を食べた。猪苗代では喜多方ラーメンを家のお土産に買った。
現在の輪行スタイルはコレ。袋はチビ輪バックというやつ。まったく知らなくて店員にすすめられたというか、これしか店になかったので「それでっ」とあっさり購入。JR郡山駅の常磐東線のホームで撮ったのが上。
前のは巾着袋のような構造で、紐を上で締めて止めるというもの。何でも入ってしまう時間も早かったけれど、持ち運びのベルトが袋に付いていて、自家用2輪車の重みで輪行中に外れてしまった。道路に落ちていた太い針金を力一杯曲げて取り付け、以後、そのまま使っていた。それで今回新しい折りたたみと一緒に輪行袋を購入したわけ。
今度はベルトを車体に取り付ける方法なので、まず切れるということはないと思う。こちらの方式の方が良い。前のも、ベルトさえ買えば、まだ使えるかもしれない。
自家用2輪車フレッタの1ヶ月点検に購入店に行ったとき、待っている間に店内を見渡すと、ジャイアントのクロスバイクのサドルに似た黄色のものがあった。それほど高くなかっし、色が統一できるので購入。家に帰って取り替えてみる。結果だが、典型的な日本尻の私には、フレッタに付いてきた洒落たヨーロッパ尻に会わせたものは会わないようだ。長い間載っても、前より尻の痛みは少なくなった。
それともうひとつ。中原街道沿いのショップで、アナログの自転車用時計があったので買おうと思っていくと売り切れ。デジタルはあったけど、見にくいし、ぱっと見て時間がわかりにくい。帰りに武蔵小山のパルム商店街の100円ショップに、少し大きいけどアナログ時計があった。100円ならいいかと購入。自家用2輪車にどう取り付けるかが問題。「新しいの買ったからあげる。あまり良くないけど…」ともらった携帯のポンプは、本当に良くなくて廃棄。止めるバンドだけ残していたので、それを利用して付けてみる。瞬間接着剤で止めたら、つけすぎで電池交換の蓋も固定されてしまった。100円だからまあいいか。
沼尻鉄道に行ったときに脇道に入って自家用2輪車で走っていると、石を積んだものがいくつか名人でいた。止めて横の小さな立て札を見ると「蝉丸の墓」と。さらに「百人一首で有名な」とも書かれてあった。私はその方面は全くの無知。帰ってWEBで検索すると、謡曲にも蝉丸というのがあって、かなり有名ということがわかった。また、蝉丸の墓は福井県にあるという検索結果も。まあ、平安時代の人だからねぇ。
川桁の近くにも「朝日向聖観音堂」があって、享保の建築で、観音像は鎌倉期の作。源頼義が戦勝祈願をしたとも書かれていた。観音堂はかなり古く、土台はあやふやになっていて、補強をしてあるのも確か。石像の向こうに磐梯山が見えて、桜が散っていてきれいでした。