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きょうの自家用2輪車 |
  • 2007.06.26 Tuesday
  • 私製GPS
ミュゼア ミュゼア

漢字が表示される電子手帳がシャープから発売になったときに「これだっ」と飛びついてからずっと電子手帳というかPDAを使っている。新しい年がくるたびに、年賀状と照合して、横線で消してある住所・電話番号を新しい手帖に書き直す儀式を行っていたが、電子手帳を買ってから、この儀式はなくなった。カナの電子手帳は以前からあったのだが、漢字が表示されないのならと興味がなかったのだ。

それからずっとシャープで通し、ザウルスもモノクロからカラーへ買い換えて使っていたが、突然リナックスザウルスになってOSが変わった。これまで使い慣れていたフリーソフトが全く使えなくなるので、それならとWindowsCEがOSのミュゼアに乗り換えた。そのミュゼアも電池がへたって使えなくなった。このときも使い慣れたフリーソフトをそのまま使いたくて中古のミュゼアを購入。

FOMAとケーブルでつないでメールとウェブをみるのにも使っていた。自家用2輪車にのるようになって便利だったのはウェブでダウンロードしたマップを入れて、フリーソフトの画像ビュアーで見ること。これならプリントアウトしたものよりコンパクトでたくさんの地図が入るので遠くに行くときには重宝する。

その中古のミュゼアの電池もへたってきて、次を考えなければならないようになってきた。現在思案中。電子手帳、PDAについての詳細は、右のリンクから「ワタシをとおりすぎたモノ」を見てください。過去帳のようなページです。


  • 2007.06.22 Friday
  • バーエンドの使い心地
バーエンドを付けて2週間くらい。上り坂に良い、とかロングライドで手の位置がいろいろ変えられて良い、とか付ける前に聞いていた。実際に自分で体験したことを書いてみよう。

初めてバーエンド付き自家用2輪車に乗ったときは「引っ掛けそう」というのが実感。特に朝の通勤時に歩道を走ると人に引っ掛かるのではと気になった。急坂でバーエンドを握ってみる。ハンドルの端っこを握ることになるので、腕を通常より広げて走るようになる。ジャイアントのエスケープだと肩幅より広くなる。慣れれば気にならないのだろうがもハンドルの両端を切って詰めたくなった。

まあ、急坂で乗りやすくなるかというと「なったような気がする」という感じ。ハンドルを握るパターンが増えたというのは「増えた」と言える。マンネリにならないというか、飽きなくていいというか……。

ハンドルの両端を切断、短縮する勇気はなかったので、ベルとかハンドル近くについていたものを中央に寄せる。そうすると肩幅と同じか、もっと狭くハンドルを握れるので、ロードバイク気分が味わえるようになった。まっ、しばらくはこれで。

下は京浜急行と南部支線が交わる「八丁畷」の自家用2輪車置き場。昔、川崎駅から南部支線への貨物短絡線があった。それが撤去された跡が自家用2輪車置き場。前は短絡線の橋台が残っていたので面白かったのだが、このときは撤去されて1つしか残っていなかった。

八丁畷

  • 2007.06.20 Wednesday
  • 娘の自家用2輪車
カミサンに頼まれて、娘の自家用2輪車の椅子を低くする。カミサンが乗りたいのだけど椅子が高すぎて足が届かないと。娘はずっとお兄ちゃんの自家用2輪車に乗っていた。いわゆるお古。小学生になって自覚が生まれてくると「私は女の子ぉ」と主張するようになった。「お兄ちゃんのは男用」と。それで自分で選んだピンクの女の子らしい色の大人サイズの自家用2輪車を買ってあげた。はじめは最も低い椅子の位置。それから「低すぎるぅ〜」と言われるたびに高くしてあげた。キーキー音がすると言えば直してやった。

ただ最近は、このピンク色の自家用2輪車も気に入らなくなったようで、新しいのがほしいぃと言っている。きっと女友達と一緒に走ると、他の友達はスポーティーな自家用2輪車だったからではないかと思う。まっ、小さい頃もセーラームーンにはまっていて、コスチュームや下敷きなどグッズを集めてうれしがっていたが、ある時から「ダサイ」と言って見向きもしなくなった。女心はわからないっ。

それでカミサンが乗るようになって、すぐ足のつく位置に椅子を低くしてほしいと方々が出たのだ。夜帰ってからモンキーレンチを引っ張り出してチョイチョイ。

どうやら娘は小さな車輪で買い物カゴのない、グリーンの自家用2輪車が希望らしい。それに変速付き。今のピンクのは、変速が付いていないから、友達と坂を上るとつらいかもしれない。

  • 2007.06.16 Saturday
  • ビアフェス2007
ビアフェス

5月の末に、六本木ヒルズでビール5社の「ビアフェス2007」が行われた。ビール会社が初めてタッグマッチというか、スクラムを組んでのイベントだそうだ。ちょっと関わっていたので、初日の帰りに顔を出す。少し暗くなっていたので、初日だしそれほど人ではないと思って行った。土・日は天気さえよければ人ではあると。

着いてみると毛利庭園近くは地面に新聞紙を敷いて、お花見状態。土地柄、外人さんも多く、いくつかの輪ができていて、歩くのが大変な状態。六本木ヒルズの階段に座った、かなりいい気分の女性もいた。お目にかかることが少ない沖縄のオリオンビールに並ぶ。ステージもあったけど、もう終わってしまったようでテーブルで飲んでいるだけ。

イベントが終わる時間なのだけど盛り上がりは続いていて終わる気配はない。六本木ヒルズの近くにプロテック六本木がある。歩いてすぐなのでクロスバイクの前輪のタイヤを買おうと思って寄る。店内を見渡してないようなので若い店員に聞くことにする。六本木のプロテックは若い店員ばかりなのだ。タイヤのサイズを言ったら、即座に「これです」と出してきた。

普通「乗っている自家用2輪車はなんですか」と聞いてくるはずなのに。確信を持ってこれですっと。全く違うものなので、メーカー名(少しアルコールが回っていて思い出すのに時間がかかる)をいって、こんな感じのと言ってやっとわかったよう。

ここは若い店員のせいか少し乱暴なところがある。前にここでパンク修理をしてときの話は書いた。やっぱり自家用2輪車店は少し歳を取ったガンコそうな親父がいる店に限る。時々、「なんでこんなになるまで乗ってたんだ」と怒られることもあるが、ちゃんとこちらのことを聞いてくれるし、腕も確かだ。前に言ったとき、「ホント、最近わけのわからない外国製の自転車ばっかりで、修理する方の身になってほしいっ。」と文句を言われたけど、修理はしっかりしてくれました。

次の金曜日は雨だった。屋外のイベントなので人ではなんいと思ったけどかなりの人数が来たと後で聞いた。掲載の写真は携帯のデジカメで暗かったので良くないです。柱に押しつけて取ってブレが最も少ないのがこのカット。

  • 2007.06.14 Thursday
  • 桧町公園
桧町公園

六本木ミッドタウンの裏手にある桧町公園。面積も池も広く開放感が味わえるスペース。実際池の石に座って読書に励む姿があった。六本木なので外人さんも多いのも特徴。

芝生の上に現代風彫刻も点在している。下はカタツムリの殻を割ったような入力金属のオブジェ。観光バスで来た一行がガイドさんの説明を聞いていた。この向こうに見える塔が東京タワー。なぜか最近は三丁目の夕日が火を点けたのか、東京タワーブーム。ここから見る夜の東京タワーはきれいかもしれない。

桧町公園

  • 2007.06.12 Tuesday
  • 六本木ミッドタウン
ミッドナイトタウン

休みの日に六本木防衛庁跡にできたミッドタウンに行ってみる。以前六本木と麻布十番に勤務先があったので、防衛庁の周辺はよく通った場所。当たり前のことだけどまったく違った通りになっていた。都市再開発の定番のように、ノッポのビルが建って見物人が出入りしていた。私もみのひとりなんだけど。

竹が上手に配置されているのと、裏の桧町公園が特長かなっ。跡は六本木ヒルズのミニ版といったところ。ビルの中には入らずに裏の桧町公園へ。人が歩いている跡を自家用2輪車で入ろうとすると自家用2輪車禁止の表示。それでミッドタウンの外周の道を走る。

六本木ヒルズは毛利庭園くらいしか緑がないが、桧町公園は面積がかなり広くて気持ちがいい。途中インカムを装着した女性ガイドに従うようにぞろぞろだんたいらしき一団がきた。ガスのツアーかなっ。今は旗を持って先頭に立つのではなく、インカムなんだと実感。

ミッドナイトタウン

  • 2007.06.11 Monday
  • 平塚の碑
平塚の碑

家から近いスポーツ自家用2輪車店がある。中原街道沿いの店。ママチャリに乗っている頃から中原街道を通っていたから、店のあることは知っていた。ジャイアント・エスケープを購入してから、普通の自家用2輪車店ではチューブやタイヤは置いてないので、時々寄るようになった。少しずつ自分で交換できるように、雑誌や本を見ていたら、見たことのある中原街道の店主さんの姿が出ていて、その本を書いていることがわかってビックリ。

ゴールデンウィークに割り引きセールをしているとき、予備のチューブを購入したとき寄ったら店の裏に「平塚の碑」があると小さな看板が出ていた。このあたりの地名が平塚ということは知っていた。源義光がこの地で夜襲のため部下を失って、その霊を弔ったのが「平塚の碑」。壊されていたものを作り直したのが現在のものと説明板に書かれていた。ちょっと逆光気味の写真でわかりにくいけど。

  • 2007.06.08 Friday
  • 深川親水公園
旧木場

富岡八幡宮の前に、江東区の細い道を自家用2輪車でぶらぶらしていたら、突然親水公園が現れた。横に江東区の水の歴史が展示されている小さな家があって、中に入ると説明をしてくれた。

「この返は昔の木場で材木がごろごろ浮いていた。雨がたくさん降ったりすると、地面が水面より低いので、材木が道路に流れ出て大変だった。木場が千葉の方に行ってしまったので公園にした。」との説明。本当はもっと長かったのだけど、だいたいこんな内容で面白かった。江東区のパンフレットもいろいろ置いてあってもらって帰る。そのパンフレットを時々見て書いてます。

これを見ると江東区は区画整理をされたように道路が走っている。パンフレットによると江戸時代に幕府が材木屋を江東区に集めて区画整理をした街と書かれてあった。現在親水公園になっている川というか運河も、材木の運搬に便利なように、計画的に掘られたものらしい。

この深川親水公園内を自家用2輪車で走る。途中道路とクロスしいて、道路が水面より低い箇所があった。木がたくさん浮いていた時代は、きっと川全部がこんなだったのかなっ。それが下の写真。これでゴールデンウィークに回った写真は終わりです。

旧木場

  • 2007.06.05 Tuesday
  • パーエンドを付ける
前に後輪のタイヤだけの交換だったので、前輪も交換。またトリトンスクウェアのセオサイクルへ。前はカミサンと一緒だったので電車だったけど、今回は自家用2輪車で行って店の前の運河のベンチで交換。愛用のクロスバイクのタイヤはワイヤーが入っていて、折りたたんでしまえないのが前回わかったのでその場で交換した方がいい判断。ウェブで注文しようかと思って検索したけど、両輪ならいいけど片方だと送料が高い。で、やめ。

ハンドルのクリップの端がボロボロになってきた。特に左。交換も考えたが、ボロボロなのは端っこだけ、右は走っているうちにだんだんずれてきて、外にはずれていくようになってきた。それでバーエンドを付けてみることにする。端は切ればいいし、バーエンドを付ければ、ずれなくなるかなっと。

なぜかセオサイクルにはバーエンドはなし。ビッグカメラの自家用2輪車売り場に寄ってみる。あったけど長いタイプばかり。そんな大げさなものではなく、短いものがほしかったのだ。それならと溜池山王のY'Sアカデミーに行く。ここにはいろいろなタイプがあった。クリップとバーエンドが一体になったものもあった。初めから決めていた短いものを購入。

帰ってからバーエンドを付ける。短いと思っていたけど装着して見ると、何か長い感じ。まっ、見慣れていないせいだと思うけど……。スタンドのネジも最近ゆるんでいたので使わなくなったチューブを初めに巻いて、その上に付ける。前もそうしていたのだけどゴムが切れてゆるんでしまったのだ。

そうそうサンヨーの新しいニッケル水素の充電池をビッグカメラで購入。これまでの充電池は充電しても放電してしまって、いざ使おうとしてときに放電してしまって使えないことが多かったのだ、新しい白い外観の充電池は放電しなくなって、買ったときにもかぐ使えるらしい。それと以前の充電器も使えるというので電池だけ。2本が充電できるものが2つあめので、それを流用すればいいのだ。はじめのサンヨーのデジカメに付いてきた充電池は外観はパッケージが剥がれてみすぼらしいのだが、なんとまだ使えるのだ。LEDのライトにちょうど良い。新しい充電池はデジカメと携帯の緊急用に使おうと思っている。

  • 2007.06.03 Sunday
  • 富岡八幡の橋
八幡橋

亀戸緑道から大島緑道を自家用2輪車で走り、明治通りに出てしばらく清澄通りを勝ちどきに向かって行くと右に赤い橋が見えた。まっ、いいかぁと通り過ぎたが、気になって右に曲がる。曲がると富岡八幡宮の裏だった。

そこに赤い橋。説明板を見ると、日本で最初の鉄製の橋と書かれている。アメリカ人の発明した工法の橋で、作られてから数カ所の川をまたいでいたが、八幡宮の裏の人道橋として保存されたということが書いてあった。今は八幡橋だけど名前はまたぐ川によって数回変わったという。

天皇の菊の御紋が入った橋でも貴重で、近くに行くとまさしく菊の御紋。その下で子どもを2人つれたお母さんが通っていった。

八幡橋

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