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きょうの自家用2輪車 |
  • 2008.02.10 Sunday
  • また雪
小さい雪だるま

休みの土曜日に会社に自家用2輪車で行くのは気楽。時間を気にしなくていいか。途中で寄り道もできるし、それほどスピードを出さなくてもいいし。天気予報は雪のち雨。まあ次の日は休みだしいいかと出かける。暗くなって外に出ると道路が真っ白になっていた。天気予報どおり。もう少しすれば雨になるはず。

夜になると雨になり、しばらくすると雨もやんだ。前にも雨がやんだ後、自家用2輪車で帰った。カッパを使わずに大丈夫と思って走ったら、跳ね返った路面の水をずっと背中に浴びていたら、パンツの中野でびっしょり。それもあったので今回は、いつもカバンに入れてあるポンチョ型カッパとズボン(というのかな)を着用。それもあって濡れることはなかった。正解。

ポンチョ型カッパはディパックを背負ったまま着用するつもりだったので、ひと回り大きなものを購入したのだが、自家用2輪車だと背中を丸めるので袖が肘のあたりまでめくれてしまう。今回は雨はやんだいたから良かったけど、大雨だと濡れてしまう。今回はディパックはポンチョの外に背負ってみたが、やっぱり袖はめくれる。夏なら問題ないんたけど。なかなかうまく行かない。

上の雪だるまは、かなり前の雪のときに撮ったもの。

  • 2008.02.09 Saturday
  • 神社の人形
総社神社人形

前に載せた前橋総社神社の裏の、道祖神の近くに並んでいた猫の小さな置物。色や大きさが揃っていた。だれが置いたのだろう。以前、前橋の達磨祭りに行ったことがある。売っているオジサンも真っ赤な衣装で、ズラッと達磨が並んでいた。確か1月15日だったかなっ。普通新年に達磨を買うことがおおいのだけど、群馬は15日に買うのかと不思議だった。神社の置物の猫も達磨のような張り子。

  • 2008.02.07 Thursday
  • 旧松代藩の鐘楼
海津城3

正月に、松代に行ったときに撮った写真の残り。横にあった説明によると、真田信之が上田から松代に移った寛永元年に建てられて、数回類焼。現在のものは1801年に建てられたものだと書かれていた。佐久間象山が日本で初めて電信の実験をしたところでもある。

昔は説明版もなく、松代に住んでいた頃、父親から佐久間象山が実験をしたところの話は聞かされた。当時は鐘楼はなかったが正月に行ったときは取り付けられていた。日本初の電信の実験をした場所だからというわけで、鐘楼の横にはNTTの建物。いささかできすぎだとは思うが。

  • 2008.02.03 Sunday
  • 雪だ


土曜日の夜、会社から自家用2輪車で帰る。小雨だったのでカッパは出さずに走る。雨は問題なかったけど道路がぬれていて泥寄せのないクロスバイクなので雨がはねる。いつのまにかパンツのなかまで濡れてきた。下り坂でスピードが出ると前輪から泥が口に入る。もう濡れてしまったので途中からカッパを出してもしょうがないのでそのまま走る。

朝、本当は昼前かな、起きたら白くなっていた。下の道路を見たら雪はなくて路面が出ていたので走れるかと思う。それでもクロスバイクより折りたたみ自家用2輪車の方がいいかと選ぶ。息子が乗っていてチェーンが外れやすいと言っていたので確かめる意味もあった。

少し走ったら外れた。前にチェーンょ短縮して良くなったはずだった。外れたのを直しながら走る。後輪のタイヤはすり減って溝がない。大きな道路は路面が見えていたが、少し外れると雪が多くて滑る。これは無理とあきらめて戻る。数回チェーンが外れて直ながら走る。寒いので手袋をしていたが、何回もチェーンをはめたら真っ黒になっていた。一度、ちゃんと見てもらわないといけないかも。

雪だるまの写真はかなり前に雪が降ったときに撮ったものです。

  • 2008.02.02 Saturday
  • 新前橋・総社神社
総社神社正面 総社神社絵馬

今回は自家用2輪車で行ったものではないです。仕事で新前橋へ。その近くにそうじゃ神社があるというので行ってみる。「そんな有名なところじゃないですよっ」と言われていたが、ついてみると平安時代の頃にできた古い神社。ただ、建物は何回か建て替えられていて江戸時代のもの。

裏に回ると社殿の壁に鮮やかな色彩。昔の地図が書かれていて、どうやら神社は城の中にあったようなのだ。この辺りの地名が総社町というのだから、やっぱり昔からあった神社なのだ。

総社神社裏

  • 2008.02.01 Friday
  • 息子新チャリ購入す
チャリを盗まれた息子だが、私の折りたたみ自家用2輪車にまた乗ることになった。そうなると娘が黙っていない。ずっと娘が使っていたためだ。「私が乗っていたのにぃ!!」と。それで息子は「じゃ、買う」ということになった。環七と中原街道の交差点にオリンピックという大きな量販があって、入口が自転車売り場になっている。ママチャリが中心で、時々バーゲンで安い自転車を売り出す。

ずっと前に、変速なしの折りたたみが6,500円だった。娘が小さいとき、後ろにいつも乗せて走り回った中国製のママチャリもここでカミサンが買ってきた。1万円以下だと言っていた。息子が変速付きを買いたいと言っていたので、のぞいてみたら6段変速で16,000円のがあった。変速機は外装でシマノ。

息子に言うとすぐに買いに行った。もっと安い15,000円で6段変速があったと。そして購入後3日でパンク。盗まれた前のママチャリは6年間で一度もパンク無し、という驚異的な記録を持っていたが、新しいのは逆。

  • 2008.01.27 Sunday
  • タンタン麺本舗
南武線の武蔵新城駅に担々麺の店が固まっているというので自家用2輪車で行ってみる。多摩川の丸子橋を渡っると中原街道は細い通りになる。昔、家康が泊まったという小杉御殿で2度曲がると、昔の街道の雰囲気がある通りなる。ずっと真っ直ぐ走ると武蔵中原駅。南武線に沿って走ると武蔵新城に出る。

担々麺の店は並んでいるのではなく、少し離れて4軒くらいあった。1軒はシャッターが閉まっていた。タンタン麺本舗という店に入ってみる。時間の割に混んでいた。人気の店かと思ったが出できた担々麺にはがっかり。まず麺が私にとっては茹ですぎ。それに塩ラーメンに溶き卵を入れて唐辛子が混じっているといったスープ。胡麻がまったく入っていない。

他の店はちがうのかもしれないけど、これなら大岡山駅の四川飯店かタンヤの担々麺の方がうまい。私の舌の場合だが。

  • 2008.01.24 Thursday
  • 桜坂
桜坂

歌で名所となった桜坂。桜坂は行こうと思って行ったのではなくて、息子の通っていた高校を自家用2輪車で探していたらあったもの。桜の満開のときに通ったらすごい人でカップルばっかり。坂の上の橋にみんな集中していた。そのとき江戸に向かう家康が通ったと書かれてあったけど、最近旧中原街道ということを知った。

以前載せた、高輪消防署から泉岳寺方面に抜ける道も旧中原街道のよう。武蔵小山のパルム商店街がある現中原街道を五反田方面に進むと、細い道が左にY字に分かれる。これも旧中原街道と知った。そういえば水子地蔵があった。


  • 2008.01.22 Tuesday
  • 息子のチャリ盗まれる
日曜日の朝、シボレーの折りたたみ自家用2輪車が見あたらない。娘が自分のピンク色の自家用2輪車がいやになって、折りたたみ自家用2輪車を乗り回していたから朝から出かけているのかと思っていた。そうしたらカミサンが息子のが盗まれた、っと。それでバイト先に乗っていったのだった。

夕方娘が帰ってきたら「折りたたみがないっ」と。兄ちゃんが乗っていったらしいというと、口を尖らせて「私が乗っていたのにぃ」。盗まれたことを話すと「しようがないかっ」。

一時は見向きもされなかったシボレー折りたたみ自家用2輪車だが、日曜日は大人気。チェーンを短縮したり、サドルを変えたり、娘が乗っているときも密かにブレーキなどは手入れをしていたのだ。後ろのタイヤは溝が全くなくなって、そろそろ取り替えないとまずいかなっと思っている。その他に変えたいところもあるのだ。

  • 2008.01.20 Sunday
  • 松代海津城
海津城1 海津城2

正月に帰ったときに行った松代の海津城。風林火山で有名な山本勘助が川中島の合戦用に初めに作ったといわれ、そのあと松代藩真田家の居城となった。テレビで風林火山が放映されるのを知っていたかのように、数年前に復元された。

私が松代にいたときは、石垣だけが残っていて、夏休みに石垣の草取りのアルバイトをした。石垣の中に一軒家があって、草取りの途中「休みませんかっ」と呼ばれてお茶をごちそうになったりした思い出がある場所なのだが、ピカピカに復元された門などを見ると、自分が上り下りした石垣とは別物に見える。確かに石垣もまだら城に古い色が残っていて多少の面影はあるよう。

それでも昔は誰も城跡に見学に来る人はいなかったが旗を持ったバスガイドの後を数人がついていく。個人的には昔の石垣だけだった方が建物などを想像できて良かったような気がする。あまりに具体的過ぎて面白くないのだ。新築の家っ、という感じ。まっ、10年も経てば風格も出てくるというもの。

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