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ピーコック

2002/10/27 Sun 11:35 +09:00 東京周辺 > 東武鉄道

ピーコック

南武支線に行った後、萩中公園に東武鉄道のピーコックがあるというので、産業道路を走って行ったみました。ピーコックは明治の鉄道創成期、優等旅客列車を牽いたネルソンとともに大活躍した英国製蒸気機関車。ここに保存されていたのはボイラーが角張ったタイプ。優美で有名な5500と比べるとちょっと武骨な感じの5600と似ています。5600は東北線が日本鉄道だった当時に英国から輸入した蒸気機関車ですね。

萩中公園に保存されている東武鉄道のピーコックは型式B-3。確か5500と同型のB-1は東武交通博物館内に保存されていたと思います。それと近鉄ナローの北勢線を引き継ぐ三岐鉄道も東武の蒸気機関車を展示することを予定していると雑誌で見ました。

ピーコック

ピーコック

その他に軌道モーターカーやピンク色に塗られた都電も保存されていて、軌道モーターカーは加藤製。東海道線尼ヶ崎→城東線玉造駅(大阪環状線)→姫新線東觜崎駅→大船工場と活躍したと書かれていました。

萩中公園

萩中公園

萩中公園には消防車やバスなどもたくさん並べてあって、どれも柵などはなく自由に乗り降りできて触れるのが面白い。だから都電やバスのガラス窓のガラスはなくなっていました。特に面白かったのが舟を砂場に埋めてあったことです。初めてこんな方法を見ました。いいんじゃないかと思います。

萩中公園

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高津電バス跡

2003/04/08 Tue 01:10 +09:00 東急電鉄 > 田園都市線

高津電バス跡
東急田園都市線高津駅
高津電バス跡
高津駅看板には紙が貼ってある

東急田園都市線高津駅にあった「電車とバスの博物館」、通称「電バス」が宮前平に移転。入場料が大人で10円、子供は無料、家からそれほど遠くないこともあって、息子が小さいときに何度も行ったものです。相互乗り入れの帰りに近くを通ったので寄ってみました。子供が中学に行ってからは行きませんでしたから久しぶりです。駅の看板はまえのままで白い紙で文字を隠していました。完全に高架の柱になった一部に、見たことのある展示物が残っていました。

高津電バス跡

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新・電バス

2003/06/23 Mon 02:08 +09:00 東急電鉄 > 田園都市線

長く高津駅にあった「東急・電車とバスの博物館」がしばらく休館のあと、宮崎台にオープンしました。以前は大人10円という超安い入館料だったのですが少し高くなって、子供50円、大人100円。当日に限り再入館できるのは前と同じ。5時まで開館しているのですが、入場は4時15分まで(たったと思う)で入れませんでした。入口まで東急の歴代東急の車両の写真が貼ってあったので、これを見て帰りました。宮崎台と宮前平駅限定ということで、電車とバスの博物館のパスネットを駅で売っているので購入。台紙付きでした。

新・電バス
▲宮崎台駅からの入口
新・電バス
▲道路を渡ったところにあるイベント館
新・電バス

新・電バス
▲宮崎台・宮前平限定のパスネット(1,000円・台紙付き)

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EB10-1

2003/09/29 Mon 02:25 +09:00 博物館

EB10

下河原線の廃線跡を利用した緑道へ行こうと思って府中へ。いつものように地図を見てだいたいの位置を頭に入れ、緑道をさがせばわかると出かけました。行ってみると府中は緑道が多いですね。それで下河原緑道がわからなくなったときに都電の車体が目に止まりました。近くに行くと「府中市立交通遊園」でした。

都電は6000型。屋根がついていないので、かなり傷んでいました。もっと奧にD51が見えました。デゴイチで親しまれて数も多かったので保存されている数は多いですね。ここにもあるのかぁと近くに行くとその横にも小さなものが。EB10-1でした。これは知らなかったのでビックリ。EB10-1といえば天賞堂のプラスチック車体のモデルを買いました。それもあってちょっと感激。運転室も自由に入れていいのですが、写真を撮った側のプレートは付いていましたが、反対側は付いていませんてした。盗まれたのかな……。

EB10は初めに蓄電池機関車AB10として昭和2年に製造。その後、パンタグラフを付けて電気機関車に改造され、国鉄最小で有名。製造は東京芝浦電気と汽車会社。向ヶ丘遊園まで走っていた豆電車も蓄電池機関車で製造は東芝車両。共通点がありますね。

EB10 D51
左/ED10-1の室内 右/ED10-1の隣はD51
都電 京王バス
左/都電6000 右/まだ新しい京王のバス

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0哩(ゼロマイル)標識

2004/07/18 Sun 02:18 +09:00 博物館

工事中のときに新橋ステーションを模した建物からホームが伸びて、下に線路ちゼロマイル(ゼロキロじゃなかった)ポストが立っていました。ホームの上がオープンテラスになると予想していたのですが、完成してもホームはそのままでした。屋根も骨組みのまま。0哩標識の説明板が立っていました。内容は下に。枕木が見えないほどバラストを盛っている意味がわかりました。

0哩(ゼロマイル)標識

0哩(ゼロマイル)標識


0哩標識

1870年4月25日(明治3年3月25日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936(昭和11)に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mのレールの軌道を復元しました。1958(昭和33)年10月14日も、旧国鉄によって『0哩標識』 は鉄道記念物に指定され、1965(昭和40)年5月12日、「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されました。
 
創業時の線路

創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対称のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは練鉄製で、1873年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道使われたあと、新潟県柏崎市の製油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両社からご寄進いただきました。

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国立公文書館

2004/10/10 Sun 01:56 +09:00 博物館

国立公文書館

車内吊りで国立公文書館の特別展示で「鉄道」をやっているのを見て出かけてみました。思ったより大勢の方が来ていて案内イヤホーンを使っている方も結構いました。展示は法令的な文書が多かったですね。それに地図と当時の運賃と写真。初めて知ったのは、天皇の印が大きいこと。10センチ角ぐらいあるんですね。入場無料だけどカラー印刷も入ったパンフレットもいただけました。

公文書館に行く前に、日比谷公園で行われている「鉄道フェスティバル」へ。第1回開催のときに行っただけなのでしばらくぶり。各鉄道のコーナーがあって、グッズに長い行列ができていました。京成と京阪が特に長い列でした。

鉄道フェスティバル

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帝釈人車鉄道

2004/11/07 Sun 01:44 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

帝釈人車鉄道

帝釈人車鉄道新聞に葛飾区郷土と天文の博物館で「帝釈人車鉄道」企画展をやっていると出ていたので行ってみました。京成、お花茶屋駅には時々仕事で行って、郷土と天文の博物館があるということはわかっていたのですが、行ったのは初めて。

入館料は100円。人車の実物やレプリカも展示されていたり、写真パネルも多く、国立公文書館の展示よりも、私には好ましく思いました。人車というテーマが私向きだということもありますが、豆相人車鉄道のポイントの現物にはびっくり。 よく集めたと感心しました。

帝釈人車鉄道についても車両が笠間人車に譲渡、その後松山人車にも使われたなど、いろいろ知りました。複線の人車軌道だったんですね。今日はなかったのですが、人車の運転をする日もあるんですね。小学生を対象とした人車模型工作教室もあるようで、なかなか面白い展示でした。


帝釈人車鉄道

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豆相人車鉄道

2006/12/11 Mon 00:45 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

豆相人車

豆相人車以前のくりっぷスクラップに葛飾区郷土と天文の博物館で行われた「帝釈人車鉄道」企画展を掲載しました。そのとき暗くて色が悪かったので掲載しなかった、豆相人車鉄道の写真をいじっていたら、何とか見える位に補正できたので掲載します。説明のパネルは色補正できなかったのでモノクロです。

確か車体はレプリカで、別に展示してあったレールが本物だったと思います。豆相人車鉄道は人車鉄道としては最も有名で、小説にも多く登場。雨宮敬次郎の手で全通、後に熱海軽便鉄道となって蒸機運転になり、さらに大日本軌道株式会社小田原支社になるなど、本や他のホームページに詳しく出ています。

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