Clip & Scrap

相互乗入開始

2003/04/06 Sun 01:36 +09:00 東急 > 田園都市線

相互乗入開始

地下鉄半蔵門線が延長、東武鉄道と結んで東急と3社の「相互乗入」が始まりました。東武の北千住駅の混雑解消のねらいもあるようで。相互乗入開始から少したってから行ってみました。最も興味があったのは営団地下鉄の新車08系。駅のポスターで見て、これまでとちょっと違った前面が特長の車両。実車を見て見たら、フラットと思っていた前面はゆるやかな曲線でした。

東急の5000系は金属的な走行音。どうも5000系の赤にグリーンの帯は好きになれません。目黒線用の赤に紺色の帯の方がいいですね。ずっと田園都市線を走っている東急8500系もスカートが付いて、行き先表示もLEDになっていたのですね。スカートとLED表示化されていない車両も走っていましたが、その編成だけ「相互乗入開始」のシールがなぜか貼られていませんでした。

東武の30000系は見慣れていないためか新鮮な感じ。車両が増えるたびに、どんんどん形式が増やしていってとうとう30000系なんですね。一方の東急は5桁にはしないで9000系の次は1000系に戻す形式の付け方。そして営団地下鉄は5桁にしないで08と短くする形式の付け方。3社3様の形式を付けた車両が入っていました。

相互乗入開始

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高津電バス跡

2003/04/08 Tue 01:10 +09:00 東急 > 田園都市線

高津電バス跡
東急田園都市線高津駅
高津電バス跡
高津駅看板には紙が貼ってある

東急田園都市線高津駅にあった「電車とバスの博物館」、通称「電バス」が宮前平に移転。入場料が大人で10円、子供は無料、家からそれほど遠くないこともあって、息子が小さいときに何度も行ったものです。相互乗り入れの帰りに近くを通ったので寄ってみました。子供が中学に行ってからは行きませんでしたから久しぶりです。駅の看板はまえのままで白い紙で文字を隠していました。完全に高架の柱になった一部に、見たことのある展示物が残っていました。

高津電バス跡

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玉電砧線跡遊歩道

2003/04/13 Sun 01:01 +09:00 東急 > 玉電

玉電砧線跡遊歩道

玉電の砧線跡は遊歩道になっていて前に通ったときは素通り。いろいろ残っていると聞いて行ってみました。それと砧本村の位置を勘違いしていました。インターネットで確認してから行きました。よく見ていくと、いろいろ砧線跡を証明するものが残っているのですね。

上の写真と説明文は、左下の「砧線跡歩道」に書かれていたもの。右下は「砧線中耕地駅跡」で、池上鉄道の新奥沢駅の石碑と同じ形。両方とも世田谷区内にあるからですね。

その他にもマンホールや歩道にいろいろありました。やっぱり注意して見ていかないとわからないですね。

玉電砧線跡遊歩道

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玉電砧本村駅跡

2003/04/20 Sun 00:53 +09:00 東急 > 玉電

玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/新吉沢橋 右/東急境界石

砧線跡の遊歩道を抜けて多摩堤通りに出るあたりに「吉沢駅」があったようです。多摩堤通りを渡ったところにバス停の吉沢駅があり、東急の境界を示す石がいくつか残っていて、当時の東急のマークが彫られていました。もう少し進んで野川にかかる新吉沢橋は砧線のものを道路用に転用。これは結構有名で、あちこちのホームページで紹介されています。端の下部がガーター橋なので鉄道用だったことがわかります。鯉が群れて泳いでました。

砧線の跡の道路はここで右にカーブして砧本村に向かいます。 道路の幅が少し広くなって正面に公園が見えてきます。この公園が「砧本村駅」の跡のようです。道路の幅が広くなったところにかなり古い鉄柱が立っていました。砧線で使ったかどうかはわかりませんが、多分当時のものでしょう。もう少し進むと代替えバス(ずっと入っているのですね)の停留所があり木製の待合室が見えます。砧線で使っていたものを転用したと他のホームページに出ていました。なかなかいいですね。待合室の中には手書きの広告地図が3つも掲げてあって、当時のものかなっとよく見ると現在の地図でした。代替えバスは時刻表を見ると、かなりの本数が出ていました。砧線当時のままなのかなっ。

玉電砧本村駅跡
砧本村駅跡の公園の入り口。代替えバスが走る。
玉電砧本村駅跡
バス停の待合室は砧本村駅の転用
玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/公園の手前にあった古い鉄柱 右/待合室の中の広告地図
玉電砧本村駅
これは遊歩道にあった砧線の路線図

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二子橋親柱

2003/04/27 Sun 00:37 +09:00 東急 > 玉電

二子橋親柱

二子橋 二子橋親柱
左/上の写真部分の拡大 右/世田谷区内の旧跡はこの石柱が目印

二子玉川駅から少し瀬田方面に行った246号線の高架下に、玉電がその上を走っていた時代の二子橋親柱が保存されていました。世田谷区の旧跡には必ず立っている赤字の石柱も。以下の説明が書かれていました。

この御影石の柱は、大正14年7月から昭和53年まで南へ約500メートル先の多摩川に掛かる二子橋の親柱として使われていた。
 二子橋が掛けられるまでは、「二子の渡し」と呼ばれる渡し船で対岸と行き来していました。二子橋の完成により渡し船は廃止状態となりましたが、昭和2年からはこの橋の上を電車も走るようになり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になり、玉川と溝ノ口が短時間で結ばれる様になりました。その後、交通量の増大に伴い、昭和41年には電車は専用橋に移り、昭和53年には拡幅工事が行われ、この親柱の使命は終わり、現在の柱に替えられました。

玉電が走っていた下を、現在は田園都市線が走っていて、地下に入るすぐ上は緑地帯となっています。この後玉電が走っていた道をたどってみたました。桜新町では「さくらまつり」の真っ最中。道の両側がいろいろな桜で満開でした。桜が付いていた意味が本当に理解できました。

二子橋親柱

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玉電溝ノ口線

2003/04/29 Tue 00:30 +09:00 東急 > 玉電

東急田園都市線の「高津−溝ノ口」間に玉電時代の橋がまだ残っている、とインターネットで見て出かけてみましたが見当りませんでした。それで再度出かけたらありました。わかりにくい場所にあるのですね。まっ、だから残っているわけで……。

溝ノ口駅のすぐ高津駅寄りの高架真下でした。小さな狭い川(谷戸川というのだそうです)に蓋がかぶされて、廃品・不用品が捨てられて、猫が追いかけっこをしている場所でした。それにして田園都市線は玉電の玉川線・溝ノ口線の路を忠実に地下と高架にしているなぁ、と感じました。 高架の山側は高い塀で囲われて中はよく見えません。ぐるっと回って海側に行くと塀はなく、橋の上は工事の道具類が置かれています。製造プレートもこちら側にありました。「大正15年11月製作・佐藤鍋商店鉄工部」と読めます。

玉電溝ノ口線
こちらが山側
玉電溝ノ口線
こちらは海側
玉電溝ノ口線
海側に付いている製造プレート

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