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京王線の跡

2000/12/29 Fri 14:27 +09:00 -

京王線の跡

京王線の跡

東京に出て来た頃、アルバイトで届けものをしたことがありました。そのときの届け先が新宿西口の甲州街道より代々木寄りの道。そのとき「そこに京王線が路上を通っていた」と言われたのです。最近仕事で京王線に乗る機会が多く、年末に新宿に行ったときに記憶を頼りに行ってみました。当時は自転車置き場のようで両脇に道路があったのですが、立派な道路になっていました。多分まちがいはないとおもうのですが。

京王線とはあまり縁がなくて久しぶりに乗ったのですが、新型車両はこれまでの京王タイプとは違ったタイプになったのですね。最近の流行というか、東急といい小田急といい、南北線、三田線など塗装をなくせばだいたい同じという感じで個性がないのは残念。ちょっと東急が続いたので……。

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阪鶴鉄道

2002/04/14 Sun 22:17 +09:00 廃線跡

京浜急行「新馬場駅」から海側に行くと阪鶴鉄道の蒸気機関車が保存してあると聞いて行ってみました。東品川公園に保存されてありました。ただし明石家さんまのテレビドラマの収録をしていて自由に撮れないのです。私はテレビは見ない方なので何のドラマ化はわかりません。困ったことに、多分肖像権に過敏になっているようで、カメラを持っていると「撮らないでください」と言われ続けました。

撮影現場じゃなく蒸気機関車を撮りにきたのだと説明、少しだけ撮りました。でも阪鶴鉄道の蒸気機関車の横にはモニター類を並べていて撮れる範囲は少しだけです。アメリカ・ピッツバーグ生まれの証拠はプレートなどに残っていました。それほど改造はうけていないようですが、塗装で日本的なおとなしい感じになっていました。

阪鶴鉄道

阪鶴鉄道

阪鶴鉄道


−書かれていた説明文−
7号蒸気機関車

この蒸気機関車は、明治30年に米国ピッツバーグから阪鶴鉄道が輸入したもので、同鉄道が明治40年8月の国有化に伴い、日本国有鉄道2850形第2851号となりました。昭和20年6月には西武鉄道が国鉄から払い下げをうけ同社第7号となり、旧西武鉄道川越線で活躍しました。その後、上武鉄道でも使用され、昭和44年3月西武鉄道から品川区に寄贈されこの公園に設置しました。

<7号蒸気機関車の大きさ>
・重さ 27.35t
・長さ 8967mm
・幅  2337mm
・高さ 3531mm


平成4年 品川区

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草軽のデキ

2002/08/19 Mon 21:28 +09:00 軽便 > 草軽電鉄

草軽のデキ

今年の夏は一人で帰省。息子は受験勉強、娘も部活、カミサンはそのおもり。そのかわり行き先は勝手に変えらというわけです。帰りは軽井沢まで在来線で。新幹線ができるまでに眺めていた景色と久しぶりに再会。横川の「碓氷峠鉄道文化むら」に寄るためです。

軽井沢駅も以前と随分変わっていました。在来線ホームは簡素に。駅舎は新幹線ができたので近代的なものに。その横に旧駅舎の博物館が建っていて、以前市役所の裏に保存されていた草軽のデキがありました。小河さんが送ってくださったのがこの場所だったのですね。デキの後に客車用の車輪が加わっていました。

横川までのバスの時間が1時間以上もあるのでレンタサイクルで以前あった整備工場裏の廃貨車へ。ありました。まわりの建物は変わって、雑草が繁っていましたが。もう倉庫として使っていない感じですね。

草軽のデキ
旧軽井沢駅舎

草軽のデキ
廃貨車

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川崎市電

2002/11/09 Sat 11:29 +09:00 廃線跡

川崎市電

これも南部支線に何回か行ったとき、萩中公園へ行く途中に、あちこちのホームページで紹介されている川崎市電の保存車に寄ったものです。市電の車庫跡は公園になっているのですが、ブルーのテントがたくさん張ってありました。いわゆるホームレスの住処ですね。撮影はしたのですがなんかむなしいのでボツ。市電は網で囲った中に保存されていました。金網の間にレンズを入れて撮ったら金網なしでうまく撮れました。

川崎市電

京浜急行の大師線は市電と接続していたようですね。ついでに大師線の終点小島田まで行ってみました。先は貨物線の塩浜操車場。

大師線

塩浜操車場

ここまで来たので川崎大師にも寄ってみました。思ったより小さいですね。参道は飴が名物らしく何軒かの店頭で包丁で飴を切っていて、音が響いてました。

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日立電鉄

2003/02/03 Mon 10:21 +09:00 霞ヶ浦・房総 > 日立電鉄

日立電鉄

年が明けてから忙しく、去年の残り物を使っていたのですが、仕事で水戸へ。去年は冨山へ行ったときの帰りはなかなか面白い時間を過ごすことができましたた。水戸へ行くならと地図を検索。関東鉄道をめぐって笠間までは行ったことはありますが水戸は通過しただけ。そう言えば関東鉄道をめぐったときの写真が行方不明だ。

地下鉄銀座線の車両が走っている日立電鉄は本物を見て見たいと思っていました。だいたい仕事が終わると夕方に近く。水戸駅ではまだ陽が出ていたので「行ける」と決断。4駅先なのでまだ陽が出ていると判断したのだ。しかし常磐線の駅間は長ったのです。途中で陽が落ちて日立電鉄の乗換駅大甕(おおみか)に着くとまっ暗に。

狭い跨線橋を渡ると日立電鉄のホームに。高架から出る上田交通のようになっていなくてなにより。乗り換え駅という感じがありました。まっ、新幹線が通ると、いいこともありますが、風景は確実に変わのますね。水戸は新幹線が通っていないためか、落ちついた、もう一度緑の濃いときに寄ってみたいと思わせる街でした。

日立電鉄

呑電日立号運転中というノボリが改札に立ててあってホームに入ると側線に止まっていました。銀座線時代とは全く違った赤を主体にした塗装になっていました。個人的には銀座線のときの方が好きですね。前から銀座線の車両は地方私鉄向きと思っていてパンタを付けた姿を暗いとは言え見ることができました。

2列車ほど見て水戸へ逆戻り。会社に一度戻る必要があったので……。 下は跨線橋にあった時刻表です。改正されたばかりで紙に手書きのものでした。

日立電鉄

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玉電砧本村駅跡

2003/04/20 Sun 00:53 +09:00 東急電鉄 > 玉電

玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/新吉沢橋 右/東急境界石

砧線跡の遊歩道を抜けて多摩堤通りに出るあたりに「吉沢駅」があったようです。多摩堤通りを渡ったところにバス停の吉沢駅があり、東急の境界を示す石がいくつか残っていて、当時の東急のマークが彫られていました。もう少し進んで野川にかかる新吉沢橋は砧線のものを道路用に転用。これは結構有名で、あちこちのホームページで紹介されています。端の下部がガーター橋なので鉄道用だったことがわかります。鯉が群れて泳いでました。

砧線の跡の道路はここで右にカーブして砧本村に向かいます。 道路の幅が少し広くなって正面に公園が見えてきます。この公園が「砧本村駅」の跡のようです。道路の幅が広くなったところにかなり古い鉄柱が立っていました。砧線で使ったかどうかはわかりませんが、多分当時のものでしょう。もう少し進むと代替えバス(ずっと入っているのですね)の停留所があり木製の待合室が見えます。砧線で使っていたものを転用したと他のホームページに出ていました。なかなかいいですね。待合室の中には手書きの広告地図が3つも掲げてあって、当時のものかなっとよく見ると現在の地図でした。代替えバスは時刻表を見ると、かなりの本数が出ていました。砧線当時のままなのかなっ。

玉電砧本村駅跡
砧本村駅跡の公園の入り口。代替えバスが走る。
玉電砧本村駅跡
バス停の待合室は砧本村駅の転用
玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/公園の手前にあった古い鉄柱 右/待合室の中の広告地図
玉電砧本村駅
これは遊歩道にあった砧線の路線図

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新太田町駅跡

2003/07/21 Mon 01:30 +09:00 東急電鉄 > 東横線

新太田町駅跡

新太田町駅跡

来年2月1日から東急東横線横浜近くが地下になって、みなとみらい21線に乗り入れ、桜木町−高島町は廃止いうポスターが貼られているので、もう地下になっていると思って出かけてみました。

工事は進んでいるようてせすが、まだ地下にはなっていませんでした。以前載せた、ビニールでカバーされていた「新太田町駅」の跡もどうなったのか行ってみました。駅の跡はなくなっていましたが横に真新しい新太田町駅跡の石碑が建てられていました。前に残っていた紺地に白抜きではなくステンレス製。それでも字は旧字。どうやら以前のものを模したもののようです。

反町駅の旧ホームもまだ見ることができました。高架下は骨になっていたからもうじき地下になるのかもしれません。

新太田町駅跡
左/新太田町駅跡にもポスター 右/反町駅旧ホーム跡

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京王電車が走っていた

2005/02/06 Sun 01:12 +09:00 -

京王電車 京王電車


多摩川の支流野川沿いに、京王電車が走っていた碑があるというので出かけてみました。二子玉川を抜け、分かれた野川の両側は車が入れないようになっているので、散歩やチャリで走るには恰好の場所。春に行ったときは桜が見事でした。今年の夏に行ったときは、水が全くなくなって枯川状態。

川沿いに小田急線と京王線の下をくぐり、警察署を左に見ると甲州街道。甲州街道を渡り、もう少し行くとありました。調布市立第七中学校の敷地内です。何かの記念に建てたのでしょうか。これによると対象2年4月15日〜昭和2年12月16日まで、当時の京王電気軌道の電車がこの位置を走っていたということです。甲州街道上だと思っていました。

下は野川の上を走る京王線。甲州街道の上から撮りました。碑があるところの随分離れた、甲州街道の反対川を走るようになったのですね。

京王電車

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