Clip & Scrap

京王線の跡

2000/12/29 Fri 14:27 +09:00 東京周辺 > 京王電鉄

京王線の跡

京王線の跡

東京に出て来た頃、アルバイトで届けものをしたことがありました。そのときの届け先が新宿西口の甲州街道より代々木寄りの道。そのとき「そこに京王線が路上を通っていた」と言われたのです。最近仕事で京王線に乗る機会が多く、年末に新宿に行ったときに記憶を頼りに行ってみました。当時は自転車置き場のようで両脇に道路があったのですが、立派な道路になっていました。多分まちがいはないとおもうのですが。

京王線とはあまり縁がなくて久しぶりに乗ったのですが、新型車両はこれまでの京王タイプとは違ったタイプになったのですね。最近の流行というか、東急といい小田急といい、南北線、三田線など塗装をなくせばだいたい同じという感じで個性がないのは残念。ちょっと東急が続いたので……。

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阪鶴鉄道

2002/04/14 Sun 22:17 +09:00 廃線跡

京浜急行「新馬場駅」から海側に行くと阪鶴鉄道の蒸気機関車が保存してあると聞いて行ってみました。東品川公園に保存されてありました。ただし明石家さんまのテレビドラマの収録をしていて自由に撮れないのです。私はテレビは見ない方なので何のドラマ化はわかりません。困ったことに、多分肖像権に過敏になっているようで、カメラを持っていると「撮らないでください」と言われ続けました。

撮影現場じゃなく蒸気機関車を撮りにきたのだと説明、少しだけ撮りました。でも阪鶴鉄道の蒸気機関車の横にはモニター類を並べていて撮れる範囲は少しだけです。アメリカ・ピッツバーグ生まれの証拠はプレートなどに残っていました。それほど改造はうけていないようですが、塗装で日本的なおとなしい感じになっていました。

阪鶴鉄道

阪鶴鉄道

阪鶴鉄道


−書かれていた説明文−
7号蒸気機関車

この蒸気機関車は、明治30年に米国ピッツバーグから阪鶴鉄道が輸入したもので、同鉄道が明治40年8月の国有化に伴い、日本国有鉄道2850形第2851号となりました。昭和20年6月には西武鉄道が国鉄から払い下げをうけ同社第7号となり、旧西武鉄道川越線で活躍しました。その後、上武鉄道でも使用され、昭和44年3月西武鉄道から品川区に寄贈されこの公園に設置しました。

<7号蒸気機関車の大きさ>
・重さ 27.35t
・長さ 8967mm
・幅  2337mm
・高さ 3531mm


平成4年 品川区

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草軽のデキ

2002/08/19 Mon 21:28 +09:00 軽便 > 草軽電鉄

草軽のデキ

今年の夏は一人で帰省。息子は受験勉強、娘も部活、カミサンはそのおもり。そのかわり行き先は勝手に変えらというわけです。帰りは軽井沢まで在来線で。新幹線ができるまでに眺めていた景色と久しぶりに再会。横川の「碓氷峠鉄道文化むら」に寄るためです。

軽井沢駅も以前と随分変わっていました。在来線ホームは簡素に。駅舎は新幹線ができたので近代的なものに。その横に旧駅舎の博物館が建っていて、以前市役所の裏に保存されていた草軽のデキがありました。小河さんが送ってくださったのがこの場所だったのですね。デキの後に客車用の車輪が加わっていました。

横川までのバスの時間が1時間以上もあるのでレンタサイクルで以前あった整備工場裏の廃貨車へ。ありました。まわりの建物は変わって、雑草が繁っていましたが。もう倉庫として使っていない感じですね。

草軽のデキ
旧軽井沢駅舎

草軽のデキ
廃貨車

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川崎市電

2002/11/09 Sat 11:29 +09:00 廃線跡

川崎市電

これも南部支線に何回か行ったとき、萩中公園へ行く途中に、あちこちのホームページで紹介されている川崎市電の保存車に寄ったものです。市電の車庫跡は公園になっているのですが、ブルーのテントがたくさん張ってありました。いわゆるホームレスの住処ですね。撮影はしたのですがなんかむなしいのでボツ。市電は網で囲った中に保存されていました。金網の間にレンズを入れて撮ったら金網なしでうまく撮れました。

川崎市電

京浜急行の大師線は市電と接続していたようですね。ついでに大師線の終点小島田まで行ってみました。先は貨物線の塩浜操車場。

大師線

塩浜操車場

ここまで来たので川崎大師にも寄ってみました。思ったより小さいですね。参道は飴が名物らしく何軒かの店頭で包丁で飴を切っていて、音が響いてました。

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日立電鉄

2003/02/03 Mon 10:21 +09:00 霞ヶ浦・房総 > 日立電鉄

日立電鉄

年が明けてから忙しく、去年の残り物を使っていたのですが、仕事で水戸へ。去年は冨山へ行ったときの帰りはなかなか面白い時間を過ごすことができましたた。水戸へ行くならと地図を検索。関東鉄道をめぐって笠間までは行ったことはありますが水戸は通過しただけ。そう言えば関東鉄道をめぐったときの写真が行方不明だ。

地下鉄銀座線の車両が走っている日立電鉄は本物を見て見たいと思っていました。だいたい仕事が終わると夕方に近く。水戸駅ではまだ陽が出ていたので「行ける」と決断。4駅先なのでまだ陽が出ていると判断したのだ。しかし常磐線の駅間は長ったのです。途中で陽が落ちて日立電鉄の乗換駅大甕(おおみか)に着くとまっ暗に。

狭い跨線橋を渡ると日立電鉄のホームに。高架から出る上田交通のようになっていなくてなにより。乗り換え駅という感じがありました。まっ、新幹線が通ると、いいこともありますが、風景は確実に変わのますね。水戸は新幹線が通っていないためか、落ちついた、もう一度緑の濃いときに寄ってみたいと思わせる街でした。

日立電鉄

呑電日立号運転中というノボリが改札に立ててあってホームに入ると側線に止まっていました。銀座線時代とは全く違った赤を主体にした塗装になっていました。個人的には銀座線のときの方が好きですね。前から銀座線の車両は地方私鉄向きと思っていてパンタを付けた姿を暗いとは言え見ることができました。

2列車ほど見て水戸へ逆戻り。会社に一度戻る必要があったので……。 下は跨線橋にあった時刻表です。改正されたばかりで紙に手書きのものでした。

日立電鉄

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玉電砧本村駅跡

2003/04/20 Sun 00:53 +09:00 東急電鉄 > 玉電

玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/新吉沢橋 右/東急境界石

砧線跡の遊歩道を抜けて多摩堤通りに出るあたりに「吉沢駅」があったようです。多摩堤通りを渡ったところにバス停の吉沢駅があり、東急の境界を示す石がいくつか残っていて、当時の東急のマークが彫られていました。もう少し進んで野川にかかる新吉沢橋は砧線のものを道路用に転用。これは結構有名で、あちこちのホームページで紹介されています。端の下部がガーター橋なので鉄道用だったことがわかります。鯉が群れて泳いでました。

砧線の跡の道路はここで右にカーブして砧本村に向かいます。 道路の幅が少し広くなって正面に公園が見えてきます。この公園が「砧本村駅」の跡のようです。道路の幅が広くなったところにかなり古い鉄柱が立っていました。砧線で使ったかどうかはわかりませんが、多分当時のものでしょう。もう少し進むと代替えバス(ずっと入っているのですね)の停留所があり木製の待合室が見えます。砧線で使っていたものを転用したと他のホームページに出ていました。なかなかいいですね。待合室の中には手書きの広告地図が3つも掲げてあって、当時のものかなっとよく見ると現在の地図でした。代替えバスは時刻表を見ると、かなりの本数が出ていました。砧線当時のままなのかなっ。

玉電砧本村駅跡
砧本村駅跡の公園の入り口。代替えバスが走る。
玉電砧本村駅跡
バス停の待合室は砧本村駅の転用
玉電砧本村駅跡 玉電砧本村駅跡
左/公園の手前にあった古い鉄柱 右/待合室の中の広告地図
玉電砧本村駅
これは遊歩道にあった砧線の路線図

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新太田町駅跡

2003/07/21 Mon 01:30 +09:00 東急電鉄 > 東横線

新太田町駅跡

新太田町駅跡

来年2月1日から東急東横線横浜近くが地下になって、みなとみらい21線に乗り入れ、桜木町−高島町は廃止いうポスターが貼られているので、もう地下になっていると思って出かけてみました。

工事は進んでいるようてせすが、まだ地下にはなっていませんでした。以前載せた、ビニールでカバーされていた「新太田町駅」の跡もどうなったのか行ってみました。駅の跡はなくなっていましたが横に真新しい新太田町駅跡の石碑が建てられていました。前に残っていた紺地に白抜きではなくステンレス製。それでも字は旧字。どうやら以前のものを模したもののようです。

反町駅の旧ホームもまだ見ることができました。高架下は骨になっていたからもうじき地下になるのかもしれません。

新太田町駅跡
左/新太田町駅跡にもポスター 右/反町駅旧ホーム跡

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京王電車が走っていた

2005/02/06 Sun 01:12 +09:00 東京周辺 > 京王電鉄

京王電車 京王電車


多摩川の支流野川沿いに、京王電車が走っていた碑があるというので出かけてみました。二子玉川を抜け、分かれた野川の両側は車が入れないようになっているので、散歩やチャリで走るには恰好の場所。春に行ったときは桜が見事でした。今年の夏に行ったときは、水が全くなくなって枯川状態。

川沿いに小田急線と京王線の下をくぐり、警察署を左に見ると甲州街道。甲州街道を渡り、もう少し行くとありました。調布市立第七中学校の敷地内です。何かの記念に建てたのでしょうか。これによると対象2年4月15日〜昭和2年12月16日まで、当時の京王電気軌道の電車がこの位置を走っていたということです。甲州街道上だと思っていました。

下は野川の上を走る京王線。甲州街道の上から撮りました。碑があるところの随分離れた、甲州街道の反対川を走るようになったのですね。

京王電車

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柳通りと目黒競馬場跡

2005/04/24 Sun 22:54 +09:00 東京都交通局

目黒川

目黒川と言えば桜の名所。上の写真は目黒通りの目黒新橋から見た渋谷方面の桜。きれいでした。この橋を渡って天現寺から市電が走っていたそうです。天現寺から目黒新橋を渡ったところで目黒通りから別れたそうです。和14年に市電は廃止。その跡が柳通りなんだなんだそうです。

柳通り 柳通り

目黒記念として名が残っているように目黒には競馬場がありました。現在もバス停に元競馬場前があり、目黒通りには祈念碑が建てられています。競馬場の走路の跡がそのまま道路になっているところがあるというので行ってみました。下の写真が走路跡の道路です。本当にきれいに円になっていて、180度方向が変わります。ところどころ写真を撮ったのですが両側が住宅街のため、みんな同じ風景なので2枚だけ載せます。

目黒競馬場 目黒競馬場

目黒競馬場 目黒競馬場

競馬場のあったあたりは「目黒競馬場跡」が残っていて、左は小さな公園の桜の木の横にたてられていた目黒競馬場の写真を拡大してみました。右は不動小学校に建てられていたもの。

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東急桜木町あたり

2006/03/12 Sun 01:27 +09:00 東急電鉄 > 東横線

東急桜木町駅跡

みなとみらい線ができたあとの東急桜木町と高島町へ天気のいい日に行ってみました。線路と施設はまだそのまま。しかしフェンスで囲まれ、営業終了の看板の横に、3月までに施設の撤去の看板が出ていました。桜木町は改装されていたけど高島町はかなり古い。 写真的には高島町の方が面白いかなっ。アップで撮った写真を並べてみました。

東急高島町駅跡

東急高島町駅跡

東急高島町駅跡

東急高島町駅跡

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横浜臨港線

2006/03/18 Sat 01:11 +09:00 廃線跡

みなとみらい21
赤レンガ倉庫
 
東急の桜木町と高島町のついでにみなとみらい21地区へ。古くは貨物駅跡の中国鉄道博、横浜博、仕事先もあったし、桜木町周辺は比較的よくくる場所だってのですが、仕事先も移転したりして、最近は行っていませんでした。 臨港線の跡が「汽車道」になっているのは聞いていました。 橋の上は線路があるのですね。

さらに臨港線の跡をなぞって山下公園方面に行くと、倉庫街の一画にレールが残っていました。その先はフェンスで遮られて、倉庫はバイクのガレージになっていました。アメリカという雰囲気。近くで聞くと、倉庫も近々取り壊され、線路跡は遊歩道としてフェンスの向こうまで作られると言われました。しばらくするとこの当たりも随分かわるのではないかと思います。

横浜臨港線跡
臨港線の橋を利用した遊歩道

横浜臨港線跡 横浜臨港線跡
倉庫の一画に線路が

横浜臨港線跡 横浜臨港線跡
倉庫はバイクのガレージに、右は雑貨屋の裏

横浜臨港線跡
線路はフェンスで遮られている

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甲武鉄道飯田町駅

2006/08/27 Sun 15:10 +09:00 JR東日本 > 総武・中央線

甲武鉄道飯田町駅の碑


ホテルエドモント


5月、会社が麻布十番から飯田橋に移転しました。しばらくは周りに何があるのかわからなかったのですが、しばらくすると何がどこにあるのかがしだいにわかってきました。飯田橋と言えば、中央線の前身「甲武鉄道」が開通したときの始発駅「飯田町」のあるところ。

国鉄時代は貨物駅とヤードがあって、その場所が「飯田町駅」だと思っていました。しかし目白通りの歩道に「甲武鉄道飯田町駅」の石碑が……。この場所に飯田町駅があったのかと石碑の文字をよく読むと、目白通りを歴史プロムナードとして、実際の場所の近くに碑を建てたと書いてありました。目白通りを歩いてみると、東京農業大学開校の地とか、徽章業発祥の地とか、いろいな碑が建っていました。

「甲武鉄道飯田町」の碑には現在のホテルエドモント(右)の地が実際に駅が合った場所で、国有化され線路延長後貨物駅になったと書かれているから、やっぱり国鉄当時の貨物駅とヤードの位置なんだと安心。
現在の飯田橋駅の端には貨物の仕分けに使われたバンプの土盛りはホームから見える。貨物駅とヤードは見る影もなく、保線用の車両置き場としてほんの少しレールがあるだけ。JR貨物の背の高いビルはあります。

貨物駅の面影はなくなってしまったけど、JRに地下鉄が4線の駅がある飯田橋。会社が移転したのも交通の便が良いからです。私の場合は、通勤には遠くなって30分は早起きしなければならなくなりましたが。

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吉沢橋

2006/09/21 Thu 01:40 +09:00 東急電鉄 > 玉電

吉沢橋

玉電砧線が野川を渡るのに使っていた「吉沢橋」は、玉電が廃止になった後、自動車などの橋に転用されていました。近くを通ったら鉄柱が何本も立っていて、迂回すると仮の橋がかかっていました。架け替え工事中。

以前の橋工事前の橋は左。見た目はどおってことない橋だったのですが、玉電砧線の遺構だと思うと何か淋しい気がします。まっ、転用された橋なので、狭いことはありました。架け替え工事前の様子は Old Crip & Scrap をご覧ください。

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三塔物語

2007/01/07 Sun 21:48 +09:00 廃線跡

横浜臨港線跡

前に横浜臨港線跡に行ったのだけど、最近さかんに「三塔物語」をポスター、パンフレットでアピール。古い塔が3つあって、キング、クィーン、ジャックと呼んでいますが、キングが横浜県本庁舎、クィーンが横浜税関本関庁舎、ジャックが横浜市開港記念館。

前にいったときはそんな呼び方はなくて話題にもなっていなかったのですが、話題になってから行ってみました。前に行ったときも目に入って撮ってはいたのですが、少し暗くなった頃だったのでもう一度。かろうじて残っている線路を横浜税関をバックに入れて撮ってみました。

3つの塔が一度に見渡せる場所が3箇所だけあるそうで。まっ、新しい観光スポットづくりもあるのでしょう。ただ、これまでの山下公園のシンボルだった氷川丸とマリンタワーは観光客の減少で閉鎖になるようです。

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国内のビデオ

2007/11/20 Tue 01:31 +09:00 軽便 > 西武鉄道山口線

西武園


西武山口線の蒸機運転時代のビデオも、知り合いの方にDVD化をお願いしたらトラッキングがひどくてうまくいかなかったと言われてデジタルにはなりませんでした。さすがに料金を受け取るプロ、問題なくDVDになって戻ってきました。頸城鉄道のコッペルが活躍していた時代ではなく、コッペルが頸城に返されて、台湾で働いていた蒸機の運転時代のものです。ただしオレンジ色の客車は井笠鉄道のもの。こちらも山口線で使われたあと、井笠に帰っていったはず。この信号所は新交通システムになった今でも同じ位置にあるようです。

銚子電鉄


その他にも読めなかったということでテープのまま戻ってきたのが、銚子電鉄と江ノ電のビデオ。こちらもプロは問題なくDVDにしてくれました。これを見て銚子電鉄はビューゲル時代だったことを思い出しました。江ノ電は久々の新車が入ったときに言ったのだと思います。こちらも載せる予定です。

江ノ電

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西武山口線

2007/12/31 Mon 00:35 +09:00 動画 > ベータマックス



新交通システムに変わる前に、遊園地前とユネスコ村を結んでいた西武山口線の動画です。この動画の台湾の精糖専用線で使われていた蒸気機関車より、頸城鉄道を走っていたコッペルの方が個人的には好きです。

遊園地前では機関車を付け替える必要があって、一度客車を押して進み、切り離して客車のみがハンドブレーキを操ってホームへ。その後蒸気機関車が戻ってきて客車を連結という方法をとっていました。

西武山口線

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東芝科学館

2008/12/01 Mon 01:18 +09:00 大阪・神戸・京都・紀州 > 京都市電

東芝科学館


以前、小田急向ヶ丘遊園まで走っていた豆電気機関車を見に、東芝科学館に行ったことを書きました。今度は仕事で東芝科学館へ。家からだと多摩川大橋を目標に自転車でいけば、それほど遠くはないのですが、今回は会社から川崎駅へ行き、タクシーで。

前に行ったときと、展示が変わっていました。歴史館として、歴代の製品の並ぶスペースが大きくなり、テレビは昔の製品でも映るようになっていました。冷蔵庫も手を中に入れると冷たいのです。少し前に小田急の電気機関車を見に行った思ってましたが、前の日付を見ると5年前。変わって当たり前。歴史観には電車の模型が2つありました。京都市電でした。それが上の写真。

からくり人形も本当に動くようになって、頭に水銀が入っていると説明をしていました。展示スペースを大きく、実際に動かして見せているためか、小学生の見学がたくさん来ていました。

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横浜臨港線

2010/03/21 Sun 11:16 +09:00 廃線跡

横浜臨港線跡 横浜臨港線跡

横浜に行ったとき、臨港線跡も見て来ました。前は線路が残っていて、柵で囲われていたり、海近くはガラクタ置き場のようになっていました。チャリで行ったら前後の車輪が同時にパンクした、苦い想い出のあった場所でもあります。右の写真。

錆びたクレーンなどが置かれていた水際は、遊歩道になってきれいに。線路は撤去され、前にはなかった「横浜港湾労働者供養塔」が建てられていました。その横に開港からの地形、鉄道の変遷の図も。

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ガソリン道

2013/03/17 Sun 11:45 +09:00 四国・九州 > 高松琴平電気鉄道

ガソリン道

琴電1000形

ガソリン道

琴電仏生山駅を出ると丸窓の3000形300が留置されていて、道路を挟んだ向かいに立て札が。行って見ると「ガソリン道」と書かれて、ガソリンカーが走っていたことから、塩江線の後をガソリン道と読んでいると書かれてありました。線路幅の狭い軽便鉄道のガソリンカーはよくありますが、幅の広い標準軌のガソリンカーは珍しいですね。琴電開業時のオリジナルカラーに戻された3000形300の後ろに回ってみると、この線路が延びていた跡がガソリン道になったのがよくわかります。今回は時間がないのでガソリン道を進むのはあきらめました。

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中神引き込み線跡

2013/11/24 Sun 11:12 +09:00 廃線跡

中神引き込み線跡

中神引き込み線跡

野川公園に大銀杏と紅葉などを見に行って、時間はまだあると昭和記念公園近くにある中神引き込み線跡に行けると、東小金井からJR中央線と青梅線で中神駅へ。降りたら5時前なのに真っ暗。冬の陽は短い。暗いと目的にたどり着くまでが大変。見通しが悪くてわかりにくいのです。それでもおおよその見当を付けて行ったらありました。

WEBなどによく掲載されているポイントが保存されていました。中神引込線通りの通り名の看板も。暗いから無理かと思って撮りましたが、デジタルカメラは暗いところでも何とか撮れるので、それなりに写っていました。

周りが住宅地と団地になって整備されたときに、残っていたレールが撤去されたみたいです。明るいともう少しいろいろ見られたと思うのですが暗いのでこれで帰りました。まだ夕方6時前。多分、もう一度は来ないでしょう。

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武豊港駅跡

2014/08/08 Fri 12:01 +09:00 JR東海 > 武豊線

武豊港駅跡

武豊港駅跡ターンテーブル

武豊港駅跡 武豊港駅跡

武豊港駅跡 武豊港駅跡

JR武豊駅のレールが切れている方向へ歩いていくと、JR東海管理地の看板が立てられた囲われた場所があります。さらに先は公園になっています。武豊線が開通時は、もっと海寄りに駅があって、現在の武豊駅の場所に移動。その後、貨物専用の武豊港駅として復活したけど、廃止された経緯があります。

公園がなくなると道路は大きく左折して下り坂に。多分、道路が線路跡なのだと思います。道路の両側に黒い板塀が現れてきます。やがて信号があり、右手にメリーゴーラウンドのような建物が見えてきます。武豊港駅時代に使われた転車台跡に鉄製の覆いが掛けられているのです。

蒸気機関車などのターンテーブルではなく、貨物用。小さく、十字型に線路が引かれ、木製の蓋がされています。どうやら港が直角に曲がった先にあって、線路を曲げられないので転車台を設けて対処したらしいです。効率を上げるために十字形の線路にしたと。「直角二線式転車台」と書かれていました。

おもしろいのは地元の小学生が、授業で町の歴史を調べているときに、地中に埋まっていた転車台を発見したことです。転車台の場所は「転車台ポケットパーク」と名付けられ、武豊停車場跡地の石碑、どのように使われたかの説明板、たけとよ夢回廊などと一緒に、転車台の周りに建てられています。

武豊港駅跡の向かいは「みそ蔵の小径」なので、黒い蔵の間を歩くことにします。それほど大きくない味噌・たまりの製造元が点在して、近くに行くと、しょっぱい麹のにおいが漂ってきます。江戸時代、和歌山、千葉と並んで醤油の産地だったことは知りませんでした。武豊だけはなく知多半島は発酵食品のメーカーが数多くある地域ということは、来るまで知りませんでした。

武豊港駅跡

味噌・たまり

味噌・たまり

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向ヶ丘遊園のモノレール

2018/03/13 Tue 19:49 +09:00 東京周辺 > 小田急電鉄

出て来たネガに面白いものが映っていまし。向ヶ丘遊園まで行くモノレールです。私は行かなかったけどカミサンと子供たちで向ヶ丘遊園に行ったときに撮ったもの。今は向ヶ丘遊園もモノレールもなくなってしまっているので珍品。そうそう、以前、川崎の東芝科学館で展示された向ヶ丘遊園内を走っていたミニ機関車も掲載してます。

向ヶ丘遊園のモノレール

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成宗電車トンネル跡

2018/05/02 Wed 12:40 +09:00 東京周辺 > 京成電鉄

成田さくらの山へ行くバスは本数が少ないので、待っている間に成宗電車が走っていたトンネル跡に行ってみました。道路は『電車道』と書かれていて、たどると煉瓦造りの二つのトンネルが土木遺産になっていました。

駅に戻ってバスに乗ると、この二つのトンネルを抜けて成田山前停留所で止まり、さくらの山へ。停留所が成宗電車の終点だったのかな。

トンネルがある高台から下を見たら、蒸気機関車とライブスチームり線路が見えました。バスの時間が近付いたので駅に戻りましたが、また今度行ってみます。

成宗電車トンネル跡

成宗電車トンネル跡

成宗電車トンネル跡

成宗電車トンネル跡

成宗電車トンネル跡

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勝沼ぶどう郷と勝沼駅

2023/04/10 Mon 23:41 +09:00 JR東日本 > 総武・中央線

大月駅

大月駅に戻ると、中央線快速東京行が停車中。東京まで直通があるとは知りませんでした。理由は判りませんが全線遅延。小淵沢行は30分以上遅れて到着。

過去の中央線にはスイッチバック駅が多く存在して、勝沼駅もそのひとつ。速度アップのためスイッチバック駅は解消され、勝沼駅は勝沼ぶどう郷駅に改名されました。過去の勝沼駅ホームは桜が植えられた公園、トンネルは遊歩道として整備され、公園内にはEF64電気機関車が保存展示されています。

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

桜は甚六桜と呼ばれ、着いたときは満開。キッチンカーが出るほど賑わっていました。過去のスイッチバックの端に階段があり、登ると現在のトンネルと並んで過去のトンネルが遊歩道に整備されていましたが、閉鎖されて入ることはできません。

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

勝沼ぶどう郷と勝沼駅

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清水港線 三保駅跡

2023/04/25 Tue 23:53 +09:00 廃線跡

清水港線は弟が近くの大学に通っているとき、激励に行ったことがあります。1970年くらいだから国鉄時代。「清水港線に乗れば来れるけど、朝と夕方しか走ってないからバスの方がいい」と言われてバスで訪問。三保の松原に寄って帰りのバスの停留所に向かっているとき、清水駅からDD13ディーゼル機関車が牽く客車と貨物の混合列車が走って来た。客車は1両だったと思う。多分。そのときカメラは持っていかなかったので撮れなかったです。

清水港線三保駅跡そんな思い出もある清水港線。三保駅跡が公園になって、車両も保存されているというので寄ってみたかったのです。路線バスは思ったよりたくさん出ていました。三保ふれあい広場で下車。バス停から近くの公園なので、すぐわかります。

公園内に桜が植えられて見頃。ホームも残っていて老人二人が缶ビールを空けて花見で盛り上がっていました。噴水や津波避難タワーもありましたが整備がされていないようで、草ボウボウで、柵と車体の塗装は剥がれていました。

新清水駅に戻り鉄道線で新静岡駅へ。ツアー会社からもらっていた静岡内で使えるクーポンでお土産を買い、帰りの新幹線に乗りました。

清水港線三保駅跡

清水港線三保駅跡

清水港線三保駅跡

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久能山東照宮と清水港線三保駅跡の動画

2023/05/05 Fri 23:04 +09:00 動画 > GoPro10

4月3日、静岡鉄道に乗車した日、
久能山東照宮と清水港線三保駅跡地に残っている車両を尋ねた動画です。

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矢口発電所専用線跡地

2023/10/25 Wed 00:25 +09:00 廃線跡

蒲田駅周辺には自転車や徒歩で何回か行っていますが、多摩川土手に向かって、鉄道院の矢口発電所に向かう線路があり、発電のための石炭を運んでいたことは知りませんでした。蒲田東急プラザで行われている「第3回蒲田を走る電車まつり」を見た後、歩いてみることにしました。電車まつりはHOゲージの組立レイアウトが目玉かな。去年は蒲田周辺の古い写真展示があって面白かったのですが、今年はありませんでした。

第3回蒲田を走る電車まつり

蒲田電車区

ユザワヤの前を抜け、環状8号線を潜ると蒲田電車区。訓練用の短い車両も見えました。前もあったかな…。跨線橋を過ぎて右折。電車区に沿って歩いて行き電車区のフェンスが終わった場所に信号機。以前、公園があった場所は工事中で柵で囲われていました。遊具を新しくする工事。ここから矢口発電所専用線跡が始まる。

京浜東北線

蒲田電車区

迂回して先へ。「大田区立道塚南公園」の銘板に貨車の車輪。当時の写真や地図、敷石が線路になっていたり、鉄道を感じさせる公園が続きます。大きな弧を描いて続く線路跡が途切れると「トミンタワー」と「トミンハイム」の高層住居。多分、発電所跡に建てられたものだと思う。その先は多摩川の土手。

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

この線路跡を利用して電車区が作られたのですね。跨線橋上で京浜東北線と上野東京ラインを撮影して帰りました。

矢口発電所専用線跡地

上野東京ライン

京浜東北線

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矢口発電所専用線跡地

2023/10/25 Wed 00:25 +09:00 廃線跡

蒲田駅周辺には自転車や徒歩で何回か行っていますが、多摩川土手に向かって、鉄道院の矢口発電所に向かう線路があり、発電のための石炭を運んでいたことは知りませんでした。蒲田東急プラザで行われている「第3回蒲田を走る電車まつり」を見た後、歩いてみることにしました。電車まつりはHOゲージの組立レイアウトが目玉かな。去年は蒲田周辺の古い写真展示があって面白かったのですが、今年はありませんでした。

第3回蒲田を走る電車まつり

蒲田電車区

ユザワヤの前を抜け、環状8号線を潜ると蒲田電車区。訓練用の短い車両も見えました。前もあったかな…。跨線橋を過ぎて右折。電車区に沿って歩いて行き電車区のフェンスが終わった場所に信号機。以前、公園があった場所は工事中で柵で囲われていました。遊具を新しくする工事。ここから矢口発電所専用線跡が始まる。

京浜東北線

蒲田電車区

迂回して先へ。「大田区立道塚南公園」の銘板に貨車の車輪。当時の写真や地図、敷石が線路になっていたり、鉄道を感じさせる公園が続きます。大きな弧を描いて続く線路跡が途切れると「トミンタワー」と「トミンハイム」の高層住居。多分、発電所跡に建てられたものだと思う。その先は多摩川の土手。

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

矢口発電所専用線跡地

この線路跡を利用して電車区が作られたのですね。跨線橋上で京浜東北線と上野東京ラインを撮影して帰りました。

上野東京ライン

京浜東北線

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