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長野電鉄マルーン時代

2006/11/12 Sun 22:34 +09:00 長野電鉄 > 長野線

長野電鉄マルーン時代ネコ・パブリッシングから「長野電鉄マルーン時代」がRM LIBRARYで発売。タイトルの付け方がうまい。現在は大手私鉄から譲渡された車両が多くなり、同じような車両ばかりになってしまったけど、マルーン時代は自社発注のいろいろな車両が走っていて、見ていて楽しいものでした。マルーン時代に絞ったのは理解できます。で、即購入。著者のお一人が長野電鉄の村本さんだったこともあります。私の「ながてんのおと」は村本さんが書かれた鉄道ピクトリアルの記事にかなり助けられているからです。マルーン1色から2色の塗り分けになったのは、ちょうど高校の通学で乗っていた頃。その意味でもうまいタイトルの付け方だと思います。

長野電鉄100形

長野電鉄200形

「ながでんのおと」からマルーン塗装だった頃の写真を再掲してみました。悲しいかなカラーは1枚も撮っていません。というか、そういう時代で、カラーなんか簡単にとることのできない、モノクロが当たり前だったのです。このモノクロ写真もスキャニングが下手なときで、サーバー容量が一杯になって軽くするために粗くしてしまったので、再スキャニングしたいとは考えています。
上左:100形 上右:200形 下:400形 すべて須坂駅

長野電鉄400形

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松代駅

2008/01/13 Sun 05:52 +09:00 長野電鉄 > 屋代線

長野電鉄松代駅

帰省したときに松代に行ってきました。高校時代に父親の関係で松代に数年いました。ちょうど松代群発地震の真っ最中の時。今のように観光地化はされていないひっそりした昔の風情が残る街でした。母親から昔と変わったと言われ行ってみました。

駅は昔のまま。終戦間近、大本営を松代に移すことが考えられ地下壕が掘られました。それもあって松代駅は測線も多い駅だったのですが、以前よりは線路は少ないですね。駅舎の中に入ると昔のまま。

駅の前に古い駅舎とは対照的なピッカピカの石碑が建っていました。汽車ポッポの石碑。作曲者が長野市と関係があるということからのよう。駅前の広場の先に池田満寿夫美術館、そしてその先の海津城も復元されてピカピカ。前は石垣しかなかったのだけど、観光バスが来ていました。テレビの風林火山の影響かなっ。途中の川中島古戦場も昔はただの原っぱだったのだけど、銅像や売店などが整備されて一変。まっ、時がたてば変わるということで。

長野電鉄松代駅歌碑

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長野電鉄河東線

2008/01/20 Sun 11:09 +09:00 長野電鉄 > 屋代線

長野電鉄松代3000系

正月に松代に行ったときに撮った長野電鉄3000系です。高校生のとき石垣の草取りをしたことのある海津城の、復元した様子を見に行ったときに撮りました。松代駅を出て屋代に向かう3500系。踏切はそのままでしたが、周辺は池田満寿夫美術館など一変。海津城もピカピカ。観光バスが来るなんてのは昔は考えられなかったけど。下は屋代方向から松代駅に入線する3500系。こちらもどうぞ。

長野電鉄松代3000系

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長野電鉄1500系

2010/02/27 Sat 02:49 +09:00 長野電鉄 > 屋代線

これまで撮ったベータ、8ミリ、デジタルのビデオをパソコンにインストール。少しずつ編集をしています。20年前に8ミリビデオで撮ったものの中から1500系の動画を載せます。



20年前なので、長野市街地が地下化。それに対応するため2500系の大量入線で、それまでの車両がほとんど廃車に。多分、河東線専用として残った1500系を撮らないとなくなってしまうと思って行ったのでしょう。しばらくは1500系が走っていたのですが、その後2500系や3500系に変わってしまいました。ワンマン運転に対応できなかったことが原因かもしれません。

須坂駅から屋代駅まで1502が単行で運転。途中1501とすれ違います。金井山駅かな。車内放送設備はなく肉声です。屋代駅ではまだ新幹線が通っていないのでJRの115系が行き交います。塗装も今とは違うJR色です。カセットも回して音を撮っていたのですが、屋代駅で紛失してことを思い出しました。

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長野電鉄須坂駅

2010/11/13 Sat 13:40 +09:00 長野電鉄

長野電鉄須坂駅

不用品処理をしたらフィルムスキャナーで取り込んでないフィルムが出てきました。カミサンにもあるんじゃないっ、と聞いたけど「ないっ」と返事。多分、探すのが面倒なだけ。子供たちを撮ったフィルムの数が少なすぎるので。そのとき撮ってあるはずすので。

長野電鉄須坂駅の木造時代の写真がりました。私にはこの姿が須坂駅。志賀高原や山田牧場などへ行くバスが駅前にはたくさん止まっていました。現在はコンクリートになって、何か昔より駅前が狭くなったような気がします。

ホームに停車しているのは河東線のモハ411。左の貨車の連接を待っています。東武鉄道から戦後の供出できた3両のデッカーのひとつ。制御を他と連結できるものに交換。残りの2両への部品取りの意味もあったようです。力があるのでときどき貨車を牽いて入っていました。正面は事故の修理で下半分が埋められて、東武鉄道の姿とは違った印象になりました。

長野電鉄須坂駅400系

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長野電鉄屋代線終了

2012/04/08 Sun 10:59 +09:00 長野電鉄 > 屋代線

3月31日の運行を最後に長野電鉄屋代線が90年の歴史に幕を閉じました。3月から4月にいろいろあったりして行くことはできませんでした。高校生のころ通学で利用していたので残念です。長野に行くには須坂経由で遠回りだったこと。木島線が飯山まで延びていたら違ったのかもしれません。これまで撮った中から河東線と言われていて、東武からの車両が走っていた頃の須坂駅、屋代行きホームのカット。最近の松代駅、夏の井上駅の駅名表示を載せておきます。

同じ日に、ほぼ同じ長さの歴史の十和田観光電鉄も幕を閉じました。地方鉄道には厳しい時代になりました。

長野

長野電鉄松代駅

長野電鉄井上駅

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長野電鉄屋代線

2012/09/02 Sun 11:29 +09:00 長野電鉄 > 屋代線

長野電鉄屋代線

長野電鉄屋代線

今年3月に廃止になった屋代線。須坂駅ホームは屋代線方面のりばは黒テープ。貼り紙もしてありました。元々本数が少ない路線だったので、以前と違いはない感じでした。

下に、廃止前の屋代線の写真を載せておきます。

長野電鉄屋代線

長野電鉄屋代線

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長野電鉄信濃川田駅

2013/09/08 Sun 23:51 +09:00 長野電鉄 > 屋代線

長野電鉄屋代線

帰省したとき廃線になった長野電鉄屋代線信濃川田駅へ行ってきました。上の写真は信濃川田から金井山寄りにある短い屋代線唯一のトンネル。

信濃川田駅に着くと、駅舎の半分がバスの待合室、半分が英語教室になっていました。パークアンドライドを試みた大きな駐車場もありました。長野市街へ路線が延びていたら利用したと思いますが、須坂と屋代への路線では利用者は少なかったと重られます。松代から長野に路線があったらと思います。

信濃川田駅のホームに立つと柱にはY8しなのかわだとの文字がありました。駅舎とホームはほとんどそのまま残っているようでした。残ったレールには小布施から移ってきた車両がブルーシートに覆われて留置されていました。

長野電鉄信濃川田駅

長野電鉄信濃川田駅

長野電鉄信濃川田駅

長野電鉄信濃川田駅

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