磐越西線
2009/05/17 Sun 14:01 +09:00 軽便 > 沼尻鉄道
5月の連休、足利に続いて輪行で出かけたのは川桁。沼尻鉄道の廃線跡に行ってきました。大井町から東京駅、新幹線で郡山へ。郡山駅には電気機関車金太郎が遠くに見えました。ここから磐越西線。てっきりディーゼルに乗換えと思っていたら電車が止まっています。磐越西線が電化されているのを知りませんでした。SLばんえつ物語も走っていたので。
電車は719系。キャラクター(日テレのマークにそっくり)が描かれていて、塗装も他の719系と違います。磐越西線色だけなのかな。2両が1編成になっているよう。郡山駅を出ると急勾配のようでかなりゆっくりのスピードです。乗ってわかったのですが電化は喜多方まで。中山宿駅はスイッチバックではなくなっていました。トンネルも新たに掘ったところもあるようで、横に旧トンネルがありました。
沼尻鉄道は営業しているときに行こうと思っていたのですが、突然休止。そのまま廃止になって悔やんだものです。その当時仕事で、磐梯急行電鉄の別荘地新聞折込の仕事に偶然関わっていて、沼尻鉄道が名前を変えたことは知っていました。不動産事業のための名前変更ということは新聞折込から理解できました。仕事上で、他の人に「沼尻鉄道のことだよ」と行っても「何それ」と言われるだけ。
郡山駅から乗ったのは快速。川桁駅には必ず停車するわけではなく朝のみ。降りると無人駅で小さな駅舎。さくら祭りの登りがたくさん立っていて、その向こうに沼尻鉄道の記念碑が見えます。桜は散り始めていたのですが、まだ見ることはできました。続きます。
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翁島駅舎
2009/08/05 Wed 01:46 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
緑の村の入り口にあるのが旧翁島駅舎を利用した「そば処駅舎亭」。ここでそばを食べようと初めから計画していたので、ここまでずっと我慢。14時過ぎになっていて空腹を通り超していました。天ざるを注文。空腹が満たされたことは覚えているが、味は覚えていない。
翁島駅の半分は貴賓室だったというから、奥の区切られた部屋で食べたので、そこが貴賓室かも。昔の時刻表、料金表もそのまま残っていていい感じ。この裏に沼尻鉄道の機関車と客車が保存展示されているのです。腹も満たされたので裏にまわってみます。
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JR黒磯駅/快速フェアウェイ
2009/08/16 Sun 10:51 +09:00 秩父・群馬・会津 > 宇都宮ライトレール
2回目に川桁に行っときは、土日だけ新宿から6:24に出る「快速フェアウェイ」黒磯行きを利用。快速料金510円。旧国鉄色の485系でした。車内も当時のまま。利用者は思ったより多かったです。多かったのがゴルフバッグを持った男性。那須あたりはゴルフ場が多いし、車でいくよりいいかも。あと女性のおばさんツアー客。
黒磯で直流から交流に変わるので、ほとんどの列車は、黒磯止まり、黒磯発。黒磯で各停に乗り換え郡山。郡山で快速あいずで猪苗代へ。川桁は通過です。快速あいずは外装も内装も新しくなってきれいでした。
どちらも臨時で上野から会津若松までの特急にも使われているようです。快速フェアウェイの485系は新宿発のムーンライト越後にも使われているようで、黒磯寄りの先頭車は女性専用で、シートの色もエンジ色に変わっていました。
左の写真は107系のJR東日本標準色。私、どうもこの色は好きじゃないです。日光線のレトロ調塗装はいいと思いましたが。
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JR郡山駅の赤ベエ
2009/08/20 Thu 02:11 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
宇都宮から郡山まで在来線で行き、ホームで待っている磐越西線の485系快速あいづに乗り換え。新宿からの485系快速フェアーウェイと違い、内外を改装。椅子もフワフワしたものになり、椅子の間も広くなり、ゆったりとした座り心地。快適でした。川桁は通過。猪苗代駅で下車して川桁まで折りたたみ自転車で。前に緑の村まで来ていたので、2度目は楽でした。
常磐西線は485系も普通列車の719系も、塗装は赤と黒。車体横に赤い牛のキャラクターが描かれていました。初めは何かわからなかったのですが、後で「赤ベエ」という名前ということがわかりました。
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JR会津若松駅
2016/11/16 Wed 09:45 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
会津若松駅はJR磐越西線・東線、JR只見線、会津鉄道が発着する駅。いろいろな車両が発着するのでしばらく撮影。一度、改札を出て会津市内を観光して戻り、夕食に喜多方までラーメンを食べに行こうと思ったら、強風のため郡山からの列車がかなり遅れて接続待ち。喜多方行きはあきらめ、会津若松で手打ラーメンを食べました。
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落葉で空転して遅延のSLばんえつ物語
2023/11/18 Sat 22:52 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
宇都宮から郡山、磐越西線で会津若松へ。新津行に乗換て山都駅から一ノ戸橋梁でSLばんえつ物語を撮るのが目的でした。しかし発車時刻になっても新津行が来ない。駅員に尋ねる方も出てきてザワザワ。しばらくすると、
「SLばんえつ物語はレーに積もった枯葉上で空転したため停車してます。新津行と併せて、いつ到着するか今のところわかりません。わかり次第お知らせするので、この声が聞こえる場所にいるようにしてください。」
とのアナウス。30分以上ホームにいると、
「ばんえつ物語は1時間30分遅れて到着。新津行も1時間遅れて到着の予定です。」
山都駅に行ってもSLばんえつ物語は撮れるかどうかわからないし、帰る列車が確約されていません。会津若松駅にずっといてSLばんえつ物語を撮った方が良いと考え、このままホームに残ることにしました。
先に1時間以上遅れて新津行が到着。SLばんえつ物語が到着したのは2時間ほど遅れ。土曜日で運行していた「フルーテアふくしま」と「SLばんえつ物語」、普通列車が並んだ様子が撮れたり、乗り入れの会津鉄道、新しいGV-E400形電気式気動車を撮れたことはラッキーだったのかも。「フルーテアふくしま」は今年末で引退というとでイベントが行われていました。
9時チェックインで宿泊のみで予約のホテルに17時前に到着。付いてくる少し離れたところにある温泉無料券は遅く入るから無用と思っていたが、早く着きすぎたので荷物を下ろして温泉を楽しむことにする。タオル、着替え、サウナに加え、レストランのドリンクが無料とあって、夕飯はレストランで済ませることにしました。
「SLばんえつ物語はレーに積もった枯葉上で空転したため停車してます。新津行と併せて、いつ到着するか今のところわかりません。わかり次第お知らせするので、この声が聞こえる場所にいるようにしてください。」
とのアナウス。30分以上ホームにいると、
「ばんえつ物語は1時間30分遅れて到着。新津行も1時間遅れて到着の予定です。」
山都駅に行ってもSLばんえつ物語は撮れるかどうかわからないし、帰る列車が確約されていません。会津若松駅にずっといてSLばんえつ物語を撮った方が良いと考え、このままホームに残ることにしました。
先に1時間以上遅れて新津行が到着。SLばんえつ物語が到着したのは2時間ほど遅れ。土曜日で運行していた「フルーテアふくしま」と「SLばんえつ物語」、普通列車が並んだ様子が撮れたり、乗り入れの会津鉄道、新しいGV-E400形電気式気動車を撮れたことはラッキーだったのかも。「フルーテアふくしま」は今年末で引退というとでイベントが行われていました。
9時チェックインで宿泊のみで予約のホテルに17時前に到着。付いてくる少し離れたところにある温泉無料券は遅く入るから無用と思っていたが、早く着きすぎたので荷物を下ろして温泉を楽しむことにする。タオル、着替え、サウナに加え、レストランのドリンクが無料とあって、夕飯はレストランで済ませることにしました。
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再び磐越西線へ
2024/09/02 Mon 12:24 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
どうもSLばんえつ物語とは相性が悪い。去年の秋、会津若松から磐越西線一ノ戸橋梁へ行こうと思ったら、SLばんえつ物語が枯葉の上に乗り上げて動輪が空転。時刻表が滅茶苦茶になって行くことはできませんでした。
今年再びと8月初めに行こうと切符を購入。行こうとしたら8月初めの土日だけ運行しない日で、切符を8月終盤に変更。会津若松で新津行きに乗り換えのとき、私の悪い癖で停車中の会津鉄道のトロッコ列車を撮っている途中に、新津行が発車してしまいました。
次の列車は3時間後。さて、どうしよう。また出直すのはいやだ。駅前のタクシーで喜多方駅まで先回りできないかと思いました。乗ると列車の方が早いから無理。じゃ、一ノ戸橋梁に直接行ってしまえっ、とお願いしたら1万円はかかるしクレジットカードは使えないと。財布には9千円しか無かったのです。そうしたら9千円でいい。途中でメーターを倒すからで交渉成立。
はじめ私だけだった一ノ戸橋梁下も、次第に人が増えてきました。ほとんど車利用の方。涼しい車内で来るまで待機。建物の影で涼んでいると、もう一人私と同じ、列車で来た方がいて少し話しました。只見線会津宮下駅で泊り、ビューポイントまで猛暑の中歩き、死にそうだったと言っていました。その変わり、朝霧が川面にかかる写真が撮れたと見せてもらいました。
汽笛が聞こえて大和駅を発車したSLばんえつ物語がやってきました。天気が良く良かったです。帰りに高台があったので、もう一本撮ることにします。
山都駅に向かう途中、お祭り一行に会いました。途中、お囃子が聞こえていました。山都は蕎麦が名物で、駅に向かう道路には蕎麦屋が何軒もあるので食事には困りません。現金がなくなってしまったので食べることはできませんでした。残念。
今年再びと8月初めに行こうと切符を購入。行こうとしたら8月初めの土日だけ運行しない日で、切符を8月終盤に変更。会津若松で新津行きに乗り換えのとき、私の悪い癖で停車中の会津鉄道のトロッコ列車を撮っている途中に、新津行が発車してしまいました。
次の列車は3時間後。さて、どうしよう。また出直すのはいやだ。駅前のタクシーで喜多方駅まで先回りできないかと思いました。乗ると列車の方が早いから無理。じゃ、一ノ戸橋梁に直接行ってしまえっ、とお願いしたら1万円はかかるしクレジットカードは使えないと。財布には9千円しか無かったのです。そうしたら9千円でいい。途中でメーターを倒すからで交渉成立。
はじめ私だけだった一ノ戸橋梁下も、次第に人が増えてきました。ほとんど車利用の方。涼しい車内で来るまで待機。建物の影で涼んでいると、もう一人私と同じ、列車で来た方がいて少し話しました。只見線会津宮下駅で泊り、ビューポイントまで猛暑の中歩き、死にそうだったと言っていました。その変わり、朝霧が川面にかかる写真が撮れたと見せてもらいました。
汽笛が聞こえて大和駅を発車したSLばんえつ物語がやってきました。天気が良く良かったです。帰りに高台があったので、もう一本撮ることにします。
山都駅に向かう途中、お祭り一行に会いました。途中、お囃子が聞こえていました。山都は蕎麦が名物で、駅に向かう道路には蕎麦屋が何軒もあるので食事には困りません。現金がなくなってしまったので食べることはできませんでした。残念。
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野沢駅へ
2024/09/04 Wed 14:23 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
次の新津駅方面はは野沢駅折り返し。野沢駅は待避線が数本ある民間委託駅。過去には、近隣の大山詣に臨時団体列車が発着していたらしい。区間運転はキハ100系、会津若松〜新津間はGV-E400が使われているよう。
駅には西会津ふるさとステーション(西会津町物損展示場)と冷房が効いた広い待合室があり、新津行が来るまで涼むことにする。新津行に乗車して日出谷駅に向かいました。
駅には西会津ふるさとステーション(西会津町物損展示場)と冷房が効いた広い待合室があり、新津行が来るまで涼むことにする。新津行に乗車して日出谷駅に向かいました。
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阿賀野川当麻橋梁
2024/09/09 Mon 23:42 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
日出谷駅は蒸気機関車時代には中間地点であることから、機関車駐泊所ゃ転車台、給水施設などが設置されていたらしいが、現在は単線ホームと簡単な建物があるだけの無人駅になっている。駅のそばには真新しい木造の公民館があり、トイレを使わせてもらいました。
駅前の通りを新津方向に歩いていくと、左に大きな長い赤いトラス橋。渡っていくと右手に磐越西線当麻橋梁が並行して見えます。古い橋台がひとつだけ残っていて、ネットで調べたら古い橋はダム建設に伴い阿賀野川の増水により橋桁が水没する恐れがあるため、新しい橋に架け替えられ、前の橋は秩父鉄道の安谷川、浦山川、押手沢橋梁に転用されたのでした。
橋がシルエットになって川面に映っていたので、ここで撮ってもいいかと思ったが、もう少し歩けば有名撮影地なので歩いていくと、等の橋梁が正面から見える地点に到着。ここがそうだとカメラの準備。
SLぱんえつ物語を待っているのは私一人。本当に有名撮影地なのかなと思っていると、通過時間間近になると次々と車が止まりカメラを抱えていました。「草がボウボウだけどいいかっ」とか「他を見てきたけど、ここでいいか…」と言っているということは、何回も日出谷駅周辺で撮っている人たちと思われる。
山間に日出谷駅出発の汽笛を鳴らして当麻橋梁を渡り、目の前を横切って行った。他の人はかぐ車に戻りもサッと去っていった。一人になった私は歩いてゆっくり歩いて日出谷駅に戻りました。
会津若松駅の短い乗換時間を利用して、孫へのお土産を買おうと思ったら閉店間際。柚餅子でいいかと購入。郡山駅から新幹線。時間がなく慌てて乗車。夕飯を食べられなかったので、お土産の柚餅子を一袋食べることで我慢しました。
駅前の通りを新津方向に歩いていくと、左に大きな長い赤いトラス橋。渡っていくと右手に磐越西線当麻橋梁が並行して見えます。古い橋台がひとつだけ残っていて、ネットで調べたら古い橋はダム建設に伴い阿賀野川の増水により橋桁が水没する恐れがあるため、新しい橋に架け替えられ、前の橋は秩父鉄道の安谷川、浦山川、押手沢橋梁に転用されたのでした。
橋がシルエットになって川面に映っていたので、ここで撮ってもいいかと思ったが、もう少し歩けば有名撮影地なので歩いていくと、等の橋梁が正面から見える地点に到着。ここがそうだとカメラの準備。
SLぱんえつ物語を待っているのは私一人。本当に有名撮影地なのかなと思っていると、通過時間間近になると次々と車が止まりカメラを抱えていました。「草がボウボウだけどいいかっ」とか「他を見てきたけど、ここでいいか…」と言っているということは、何回も日出谷駅周辺で撮っている人たちと思われる。
山間に日出谷駅出発の汽笛を鳴らして当麻橋梁を渡り、目の前を横切って行った。他の人はかぐ車に戻りもサッと去っていった。一人になった私は歩いてゆっくり歩いて日出谷駅に戻りました。
会津若松駅の短い乗換時間を利用して、孫へのお土産を買おうと思ったら閉店間際。柚餅子でいいかと購入。郡山駅から新幹線。時間がなく慌てて乗車。夕飯を食べられなかったので、お土産の柚餅子を一袋食べることで我慢しました。
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阿賀野川当麻橋梁
2024/09/09 Mon 23:42 +09:00 JR東日本 > 磐越西線
日出谷駅は蒸気機関車時代には中間地点であることから、機関車駐泊所ゃ転車台、給水施設などが設置されていたらしいが、現在は単線ホームと簡単な建物があるだけの無人駅になっている。駅のそばには真新しい木造の公民館があり、トイレを使わせてもらいました。
駅前の通りを新津方向に歩いていくと、左に大きな長い赤いトラス橋。渡っていくと右手に磐越西線当麻橋梁が並行して見えます。古い橋台がひとつだけ残っていて、ネットで調べたら古い橋はダム建設に伴い阿賀野川の増水により橋桁が水没する恐れがあるため、新しい橋に架け替えられ、前の橋は秩父鉄道の安谷川、浦山川、押手沢橋梁に転用されたのでした。
橋がシルエットになって川面に映っていたので、ここで撮ってもいいかと思ったが、もう少し歩けば有名撮影地なので歩いていくと、等の橋梁が正面から見える地点に到着。ここがそうだとカメラの準備。
SLぱんえつ物語を待っているのは私一人。本当に有名撮影地なのかなと思っていると、通過時間間近になると次々と車が止まりカメラを抱えていました。「草がボウボウだけどいいかっ」とか「他を見てきたけど、ここでいいか…」と言っているということは、何回も日出谷駅周辺で撮っている人たちと思われる。
山間に日出谷駅出発の汽笛を鳴らして当麻橋梁を渡り、目の前を横切って行った。他の人はかぐ車に戻りもサッと去っていった。一人になった私は歩いてゆっくり歩いて日出谷駅に戻りました。
会津若松駅の短い乗換時間を利用して、孫へのお土産を買おうと思ったら閉店間際。柚餅子でいいかと購入。郡山駅から新幹線。時間がなく慌てて乗車。夕飯を食べられなかったので、お土産の柚餅子を一袋食べることで我慢しました。
駅前の通りを新津方向に歩いていくと、左に大きな長い赤いトラス橋。渡っていくと右手に磐越西線当麻橋梁が並行して見えます。古い橋台がひとつだけ残っていて、ネットで調べたら古い橋はダム建設に伴い阿賀野川の増水により橋桁が水没する恐れがあるため、新しい橋に架け替えられ、前の橋は秩父鉄道の安谷川、浦山川、押手沢橋梁に転用されたのでした。
橋がシルエットになって川面に映っていたので、ここで撮ってもいいかと思ったが、もう少し歩けば有名撮影地なので歩いていくと、等の橋梁が正面から見える地点に到着。ここがそうだとカメラの準備。
SLぱんえつ物語を待っているのは私一人。本当に有名撮影地なのかなと思っていると、通過時間間近になると次々と車が止まりカメラを抱えていました。「草がボウボウだけどいいかっ」とか「他を見てきたけど、ここでいいか…」と言っているということは、何回も日出谷駅周辺で撮っている人たちと思われる。
山間に日出谷駅出発の汽笛を鳴らして当麻橋梁を渡り、目の前を横切って行った。他の人はかぐ車に戻りもサッと去っていった。一人になった私は歩いてゆっくり歩いて日出谷駅に戻りました。
会津若松駅の短い乗換時間を利用して、孫へのお土産を買おうと思ったら閉店間際。柚餅子でいいかと購入。郡山駅から新幹線。時間がなく慌てて乗車。夕飯を食べられなかったので、お土産の柚餅子を一袋食べることで我慢しました。
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