長野電鉄ロマンスカー
2006/08/06 Sun 01:17 +09:00 長野電鉄 > 長野線
カミサンの母親の三回忌で2人の子どもを連れて帰省。それが目的で帰ったのですが、時間が少し空いたときを見はからって「須坂駅まで行ってこようと思う。小田急のロマンスカーが見られるかもしれないから。」と言うと、さすが我が息子、「ボクも行こうかと思っていた」と。すぐ決まった。我が娘は全くの無関心で夏休みの宿題をするという。
権堂駅まで歩き須坂まで電車。途中、柳原駅で東急から来た8500系と列車交換。私は何回か見て乗っているのですが、息子は本線を走るのを見るのは初めて。 「乗りたいなぁ〜」と息子。須坂駅で降りると側線に目的の元小田急ロマンスカー、長野電鉄特急10000系が2編成留まっていました。試運転の幕を下ろしているけど、すぐにも走りだしそうな感じ。
携帯のデジカメしか持ってこなくて、逆光の上少し離れて留まっていたので、写真としてはよくありません。 まっ、自分の目で見ることができてよかったです。
湯田中駅の名物、ミニスイッチバックを解消する工事が秋から始まり、それが終わる12月に営業運転を開始するよういです。駅では愛称「ゆけむり」のハンドタオルを発売していました。個人的に「ゆけむり」は?なのです。の日の夕方帰る予定なので30分ちょっといて長野へ。息子は帰りに8500系に乗りたいと行っていましたが、また途中ですれ違っただけ。
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甲武鉄道飯田町駅
2006/08/27 Sun 15:10 +09:00 JR東日本 > 総武・中央線
5月、会社が麻布十番から飯田橋に移転しました。しばらくは周りに何があるのかわからなかったのですが、しばらくすると何がどこにあるのかがしだいにわかってきました。飯田橋と言えば、中央線の前身「甲武鉄道」が開通したときの始発駅「飯田町」のあるところ。
国鉄時代は貨物駅とヤードがあって、その場所が「飯田町駅」だと思っていました。しかし目白通りの歩道に「甲武鉄道飯田町駅」の石碑が……。この場所に飯田町駅があったのかと石碑の文字をよく読むと、目白通りを歴史プロムナードとして、実際の場所の近くに碑を建てたと書いてありました。目白通りを歩いてみると、東京農業大学開校の地とか、徽章業発祥の地とか、いろいな碑が建っていました。
「甲武鉄道飯田町」の碑には現在のホテルエドモント(右)の地が実際に駅が合った場所で、国有化され線路延長後貨物駅になったと書かれているから、やっぱり国鉄当時の貨物駅とヤードの位置なんだと安心。
現在の飯田橋駅の端には貨物の仕分けに使われたバンプの土盛りはホームから見える。貨物駅とヤードは見る影もなく、保線用の車両置き場としてほんの少しレールがあるだけ。JR貨物の背の高いビルはあります。
貨物駅の面影はなくなってしまったけど、JRに地下鉄が4線の駅がある飯田橋。会社が移転したのも交通の便が良いからです。私の場合は、通勤には遠くなって30分は早起きしなければならなくなりましたが。
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