Clip & Scrap

豊洲公園

2007/02/01 Thu 02:00 +09:00 廃線跡 > 東京都臨港線

豊洲公園

石川島播磨重工跡にできた豊洲ララポートには、造船所時代の遺構が残っていて、モニュメントや椅子などに利用されています。雑誌などで車輪を利用した椅子を見て行ったのが上の写真。フレンジが両側に付いていたので、鉄道用の車輪ではなくクレーンの写真だと思われます。レールも車輪の下にありました。

豊洲公園豊洲公園を回ってみると、鉄道用の車輪と思われるものもありました。左ですが、丸い椅子に利用しているようにも見えますが、モニュメントですね。こちらはフレンジが片側だけなので、造船所内を走っていた鉄道の機関車のものでしょう。DLかなっ。

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久品仏

2007/02/06 Tue 01:25 +09:00 東急電鉄 > 大井町線

久品仏

「当社の昔の建物がこのDVDの映画の中に映っている」ということで渡されたのが、日活の石原裕次郎主演の乳母車という映画。石坂洋次郎原作の文芸作品。どの部分に昔の建物が出ているのか確かめるため、パソコンのDVDドライブに入れて、頭から早送りで見ることに。

20倍速送りで飛ばして見ていると東急の旧3000系の車体で、2色の塗り分けの画像が目に止まりました。旧3000系の終わりに一編成だけ復活した塗り分けのよう。早送りをやめてゆっくり見ると久品仏の駅を走っていました。溝ノ口−大井町の行き先プレートが見えます。パソコンだと静止画が撮れるのですね。

久品仏

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ながでんのおと更新

2007/02/08 Thu 03:17 +09:00 長野電鉄

長野電鉄ゆけむり12月9日にデビューした特急長野電鉄1000系ゆけむりを「ながでんのおと」に追加しました。そろそろ掲載しないとまずいので。内容は鉄道実物誌に書かれているものとそれほど変わりません。写真も冬で少しの時間だったので、あまり良くありません。そのうちにまた行ってみます。

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ハワイアンのモーターカー

2007/02/10 Sat 01:56 +09:00 軽便 > フィリピン精糖工場

ハワイアン

フィリピンのハワイアンのビデオをDVD化したものの静止画。レールバスというか、トロッコというか、軽自動車のような乗物が青空の下で停車中。黄色のアメリカっぼい塗装が面白く、模型で作るといいかもと撮影。蒸機も下に載せておきます。

ハワイアン

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豆相人車鉄道

2007/02/13 Tue 00:14 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

豆相人車


3連休の真ん中の日、豆相人車鉄道、後の熱海軽便鉄道が走っていた小田原〜熱海に行ってきました。前からいつかはと思っていたのです。ただ早めに出かけるつもりが休みとなると身体が言うことを聞かず、起きたのは昼でした。久しぶりのチャリでの輪行です。

旧道をあちこちさがしながら走ったら真鶴で完全に暗くなってしまったので、真鶴駅から帰りました。旧道は狭くて休みとあって車も多く歩道が全部あるわけではないので、小田原近くは少し注意が必要です。

上の写真は根府側駅の跡近くに立ててあったもの、ここを過ぎるとずっと登り坂、お客も降りて押したというのもわかります。真鶴に入ると少しずつ下りに。真鶴から先にもまた行ってみます。

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人車小田原駅跡

2007/02/15 Thu 02:01 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

豆相小田原駅跡


小田原に行く前にウェブで調べると「ガイドマック豆相人車鉄道歴史街道物語(豆相人車鉄道地域活性化協議会)」のパンフレットがよくできたているようで、そのままスキャニングして載せているページがありました。これはラッキーとプリントアウト。それと1年ほど前の月刊紙「旅」にも豆相人車の跡を歩いたことが出ていました。この2つを元にでかけました。しかし、カメラを持っていくことを忘れました。デジカメの電池も切れていて、小田原駅前のコンビニで乾電池で充電できるものを購入。これでなんとか写真が撮れるようになったのです。

まず豆相人車と熱海軽便鉄道の小田原駅跡の石碑。あちこちに出ていたのですぐわかるとおもっていたのですが行きつ戻りつして歩道橋の影にあるのを見つけました。豆相人車鉄道歴史街道物語(以下・街道物語)によると人車時代は駅舎はなく、引き込み線のみと出てました。この石碑の位置から細い道が出ていて、多分これが跡なのだと思います。

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小田原水産市場

2007/02/16 Fri 01:58 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

水産市場


人車小田原駅跡の石碑がある場所から、国道1号を直角に曲がる細い道があって進んで行くと水産市場に出ます。街道物語によると、人車は市場から漁港あたりを通ったらしい。水産市場のまわりには魚料理を食べさせる店と直売店があって、結構人が出ていました。さらに進むと小田原漁港に出て、道は漁港をぐるっとまわっています。道は狭いのに車は切れ目がなく続いて、蒲鉾屋と釣具店があります。水産市場が上の写。下は小田原漁港。

小田原漁港

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軽便・早川〜石橋駅跡

2007/02/18 Sun 22:08 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

早川駅跡

街道物語で人車跡と書かれている道は、小田原漁港を過ぎて国道153号を横切って続いています。日下部邸の前が軽便の早川駅ということで表札をさがしたらありました。旧道はずっと続いていて、途中から国道153号といっしょに。上が国道を横切るところ。下は早川駅があったと言われる場所。

早川駅跡日下部邸

国道を行くと、旧道が集落の間を通るようになります。軽便石橋駅はタバコ屋の前と街道物語には書かれているのですがタバコ屋はなし。なくなったのかなっ。バス停の石橋はありました。それが下の写真。石橋

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米神〜根府川駅跡

2007/02/21 Wed 01:21 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

相模湾

軽便石橋駅があったと思われる集落を抜けると、また旧道になる。国道153号より一段高いところに道路はあって、そこからは海がよく見えます。途中、山に向かう坂道があり、源頼朝が平家討伐旗挙げをした石橋山古戦場と看板が。車が次々と降りてきます。本当かどうかわからないけど、我が家は源氏の家紋で義仲が祖先と聞いているので寄ってみようかとも考えたが、遅く家を出たので今回はパス。

しばらくすると国道153号と合流。集落が見えてくるとまた旧道らしき道が集落に入っていきます。人車と軽便の米神駅は集落の中にあったらしい。街道物語には人車と軽便の駅は別のルートを通っていたらしいと書かれています。下が米神の集落。

米神

ここから旧道は登り坂が続くようになる。これまで国道と併走していた旧道は山の中に入ってくねくねと曲がった登り坂。街道物語もここから先は出ていないのです。山ばっかりだからなのかな。

初めに載せた根府川駅跡のプレートには、乗客も降りて押した人車と書かれていたけど、まさにその通りだっただろうと思われる坂道の連続。道路に真鶴町の看板が見えると、こんどは下りの連続。多分、今度は人車に飛び乗ってブレーキ操作をしたのではないかと想像してチャリで走りました。

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城口駅跡

2007/02/25 Sun 22:47 +09:00 軽便 > 豆相人車鉄道

城口


下り坂が続く国道153号をブレーキをかけながら走ると、JR真鶴駅が見えてきます。線路と並行して走り、153号と別れて旧道と思われるガード下の道を行ったところで真っ暗になったので、これ以上行ってもしょうがないので真鶴駅に戻りました。

真鶴駅の横に人車城口駅跡のプレートがありました。上の写真。暗くならなかったら、このまま通り過ぎてしまったかも。このプレートの後に駐輪場があって、そこが人車城口駅の跡のよう。人車の当時はJR線はなかったわけですから。

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長野電鉄2000系旧塗装

2007/02/27 Tue 02:11 +09:00 長野電鉄 > 長野線

長電2000系

2月に長野へ行く機会があって、比較的多く時間がとれました。いろいろ撮れたので少しずつ載せます。元小田急HiSEも前よりましなものが撮れたと思います。

まず長野電鉄オリジナル特急車2000系。3編成が須坂の車庫に並んでいます。右がA編成。チョコレート色の登場当時の塗り分けになって、夕方からの運用に使われています。

中央に見えるのがD編成。これも前の塗り分けになって走るのだそうです。個人的には現在の複雑な塗り分けより、ひとつ前のシンプルな塗り分けが好きです。ながでんのおとにも書いたけど、2000系特急車がデビューしたときの色って、チョコレート色よりエンジがかったマルーンっぽい色だったような……。

左がC編成。ゆけむり入線と同時に廃車になったものです。D編成が以前の塗り分けになれば、しばらくは2000系特急車の3つの違った塗装が見られるということになります。

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