東急高島町
2004/02/02 Mon 01:14 +09:00 東急電鉄 > 東横線
古い変電所
初め東急は神奈川駅が終点。反町から横浜寄りのトンネルを出たところに神奈川駅があったといわれていますが、駅は数回移動しているようです。以前、反町からトンネルの上を歩いて神奈川駅の跡まで歩いたことは、くりっぷ & すくらっぷに「東横線ミステリーツアー」として載せました。そのときトンネルの上に現在の横浜駅のあるあたりは海で、高島嘉右衛門が埋め立て「高島町」になったことが書かれていました。
JRの横浜駅も初めは現桜木町だったのですが、スイッチバックという構造上の問題もあり、東急高島町の近くに移転するも、関東大震災で焼失。現在の位置に再度移転しています。そんな歴史もある東急高島町駅ですが、乗降客が多い横浜と終着駅桜木町の間にあるこじんまりとした駅。ホームも車両が長くなるに従い、そのまま延長したので端の幅は本当に狭い。人一人立つのがやっとという感じ。
横浜寄りの高架下に古い変電所があり、横書きの高嶋町変電所プレートは右から左なので開通当時のままではないかと思われます。高架下の立ち食いそばやさんなどはシャッターがおりて、立ち退いたようです。 ひっそりと目立たない駅でしたが、みなとみらい線には新高島と駅名は引き次がれました。ハマの恩人と言われる高島嘉右衛門の名を残したかったのかなっ。
歴史を感じさせる橋脚
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東急横浜
2004/02/03 Tue 01:02 +09:00 東急電鉄 > 東横線
東急横浜駅は手狭という印象。ホームの中央に、今では見られなくなった駅員さん用の電話ボックス型の個室が、地下になる前のホームにまだ残っていました。昔は東急グリーンに塗られていたのですがクリーム色。R線と京浜急行をまたぐ橋も地下になると見納めのためかホームの端はカメラを持ったファンが集まっていました。
オリンパスのデジカメ紛失のためサンヨーのデジカメが復活。新しい電池を購入して入れたら長時間使えるようになりました。考えたら5年前に購入。一緒についていた電池も寿命が短くなっていたのでした。サンヨーデジカメはズーム無しの初期のデジカメのため、ホームの端からの撮影は人も多いのであきらめました。載せているのは以前撮ってあったものです。やっぱりズーム付きのデジカメほしいっす。
2000年11月に撮影
2001年6月に撮影
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東急反町
2004/02/08 Sun 00:49 +09:00 東急電鉄 > 東横線
2月1日から横浜付近が地下になった東横線の潜る地点は反町の手前、そうちょうど太田町駅跡のあたりです。以前行ったときには工事用の柵で覆われていました。今回は反町には行かなかったので、以前撮った写真ばかりです。
2001年6月に撮影・横浜方向のトンネルを出たあたり
2001年6月に撮影・横浜方向、このあたりが神奈川駅跡といわれている
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みなとみらい線
2004/02/11 Wed 00:38 +09:00 東急電鉄 > みなとみらい線
2月1日にみなとみらい線が開業。東急東横線の全列車が乗り入れを始めました。1月29日は息子の誕生日。「お祝いは」と聞いたら「中華街で食事をしたい」っ、ということでした。それで2月1日に家族全員で開業したばかりのみなとみらい線で「元町・中華街」へ。まっ、私も2月1日は日曜日なので行ってみようと思っていたところなので親子が同じ考えだったと……。
中華街に暗くなってから行くのは久しぶり。昼は数年前、仕事先が桜木町にあったので何度か行く機会がありました。桜木町または関内から歩くしかなかった中華街も、みなとみらい線の開業で足は格段に良くなりました。 2月1日だけは混雑を考えてか新高島以外は全列車が停車。それでも行くときは3分遅れ、帰りは遅れは10分に広がっていました。
乗換客が多い横浜駅では、私服の東急社員やOBもかり出されていたようです。みなとみらい線の駅は近未来的なメタリックな雰囲気で統一。駅ごとに細かに装飾を変えてありました。個人的には元町・中華街駅は中華街風でだったら面白かったのに、と思いますが。
駅が地下になった反町も行ってみました。駅舎と改札は以前のまま。間違えないように地下に行く通路に駅員さんが立って誘導をしていました。駅の近くは以前と変わっていません。祝開業の旗も手作りのもの。横に自衛隊の無事を願う黄色のハンカチが下がっていました。
地下になった横浜駅渋谷行きホームで
みなとみらい線の車両は東急5000系とそっくり。開通以前にホームページで塗装を見て、「なんか良くないなぁ」と思ったけど、実車を見るとイメージが変わりました。「良い」です。
左は横浜駅で女性の母子が「わぁ〜」とうれしそうに見ていました。明るいカラーリングは本物を見ないとわかりません。
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